失恋から生まれた歌を世界的なポップソングに変え、巨大な成功の中で自分の声と舞台、生活の条件を選び直してきたイギリスの歌手
世界がAdeleの声を求めるほど、彼女は「どう歌うか」を自分で決めるようになった
#12022年1月、Las Vegas。
#2Adeleは翌日に初日を迎えるはずだった `Weekends with Adele` のドレスリハーサルをしていた。
#3状況はかなり悪かった。Omicronの流行で制作チームに欠員が出て、必要なものも予定通り届かず、ステージは完成しきっていなかった。
#4でもAdeleが抱えていた違和感は、それだけではなかった。
#5このままでは、自分のショーだと思えなかった。
#6Caesars PalaceのColosseumに作られた大きなステージを歩き、Adeleは端に腰を下ろした。足を客席側に垂らし、歌っていたマイクを口から遠ざけた。
#7そのまま、自分の生の声だけで歌った。
#8客席のほとんどは空だった。
#9四千を超える座席が広がる大きな空間なのに、声は上のほうまで届いた。
#10その瞬間、Adeleには何が欠けているのかがわかった。
#11豪華な演出そのものが嫌だったわけじゃない。
#12大きな会場が嫌だったわけでもない。
#13どれだけ巨大な場所でも、歌っている人間と聴いている人間の距離だけは消したくなかった。
#14ただし、初日は翌日だった。
#15すでにLas Vegasまで飛んできたファンがいた。ホテルを予約した人もいた。誕生日や記念日をこの公演に合わせた人だっていた。
#16それでもAdeleは、ショーを開かなかった。
#17後になって彼女は、この延期を自分のキャリアで「最悪の瞬間」だったと振り返る。
#18世界最大級の歌手が、なぜ開幕前日にすべてを止めるほど「自分のショーらしさ」にこだわったのか。
#19その理由を考えるには、まだAdele自身が音楽業界からの連絡を信用していなかった頃まで戻る必要がある。
#20Adele Laurie Blue AdkinsはLondonのTottenhamで生まれた。
#21母のPennyがAdeleを産んだのは18歳前後。父Mark Evansは早い時期から家族と離れ、Adeleは主に母ひとりに育てられた。
#22裕福な家庭ではなかった。
#23けれどAdeleは、自分の子ども時代を音楽の面ではとても豊かだったと振り返っている。
#24家ではTom WaitsやThe Cureの音楽が流れ、Adele自身はSpice GirlsやAll Saints、Destiny's Childに夢中になった。
#25Pennyは娘を無理に歌手にしようとしたわけではない。
#26ただ、Adeleが音楽を好きになっていくことを止めなかった。
#27そしてAdeleが一般的な学校ではなくBRIT Schoolへ進む選択も支えた。
#28そこでAdeleは、ただ歌がうまいだけでは済まなくなった。
#29自分で曲を書かなければならなかった。
#30学校の課題として曲を作り、デモを録音した。
#31`Hometown Glory`、`Daydreamer`、`My Same` といった初期の曲も、その頃に生まれている。
#32Adeleは録音した音源を友人に渡した。
#33その友人が三曲をMySpaceに載せた。
#34今なら若い歌手がネットに曲を公開するのは当たり前に聞こえる。
#35でもAdeleは、これを計画的なセルフプロモーションとしてやっていたわけではない。
#36むしろ、レコード会社らしき人たちから連絡が来ていると友人に言われて、戸惑う側だった。
#37その曲を聴いたひとりがXL RecordingsのA&RだったNick Huggettだ。
#38ところがAdeleはXL Recordingsを知らなかった。
#39知らない会社。
#40知らない男。
#41インターネット経由の連絡。
#42Adeleからすれば、「本当に音楽業界の人なの?」と疑うほうが自然だった。
#43変な男に呼び出されているだけかもしれないと思ったほどだった。
#44すぐに話が決まったわけではない。
#45Huggettは何度もAdeleに接触し、本当に音楽業界の人間だとわかるまで時間がかかった。
#46Adeleは結局ひとりでは行かず、知人を連れてミーティングに向かった。
#47そしてその先でJonathan Dickinsと出会う。
#48ここにも、スター誕生物語らしい豪華さはなかった。
#49Dickinsはすでに大スターを何人も抱える巨大マネージャーだったわけではなく、自宅を拠点に働いている若いマネージャーだった。
#50でも彼の判断は早かった。
#51Adeleの友人は音源をネットに上げた。
#52Nick Huggettは三曲を聴いて連絡を取った。
#53Jonathan DickinsもAdeleを見て長く迷わなかった。
#54周囲の人たちは、Adele本人より先にこの声がどこかへ行くと感じていた。
#55ただし、だからといってAdeleがすべて人任せだったわけではない。
#56ビジネスには詳しくなかった。
#57自分がどれほど大きな歌手になるかも想像していなかった。
#58でも「この歌は自分にとって本物か」という感覚だけは、かなり早い段階から強かった。
#59その感覚は、成功が大きくなるほど重要になっていく。
#60最初のアルバム `19` ですでにAdeleは成功していた。
#61GrammyではBest New Artistも受賞した。
#62普通なら、それだけでも十分に大きなデビューだ。
#63ところが `21` は、そこからさらに別の次元へ進んだ。
#64出発点は恋愛の破綻だった。
#65Adeleにとって重要だった関係が終わり、彼女は当時の自分をmiserable、lonely、sad、angry、bitterだったと表現している。
#66だから `21` は、ただ悲しいだけの失恋アルバムではない。
#67腹を立てている曲もある。
#68まだ相手を求めている曲もある。
#69諦めようとしている曲もある。
#70終わったとわかっていながら、心だけは終われていない曲もある。
#71その異なる感情を引き出した相手も一人ではなかった。
#72Paul Epworthと作った `Rolling in the Deep` では、Adeleの怒りが前に出た。
#73声は悲しむだけではなく、相手に向かって押し返すような強さを持った。
#74一方、Dan Wilsonと作った `Someone Like You` はもっとむき出しだった。
#75Adeleはすでに歌詞やメロディの一部を持っていて、二人はそれを飾り立てるより、むしろ単純にしていった。
#76最後に強く残ったのは、ピアノと声だった。
#77歌の中の人物は、立派に過去を受け入れた人ではない。
#78相手はもう前へ進んでいる。
#79自分はまだ進みきれていない。
#80幸せを願うと言いながら、「あなたみたいな人」をまた探すと言う。
#81少し未練がましくて、少し格好悪い。
#82だからこそ現実の失恋に近かった。
#832011年のBRIT Awardsで、Adeleはその `Someone Like You` をO2 Arenaで歌った。
#84大きな会場は、もともと彼女が得意だと感じていた場所ではない。
#85何千人、何万人という観客を考えるだけで緊張した。
#86ゆっくりした歌を歌う自分が、そんな大きな場所で何をすればいいのかもよくわかっていなかった。
#87それでも、その夜のステージにはほとんど何もなかった。
#88Adeleとピアノ。
#89歌が始まると、大きなarenaが静かになった。
#90Adeleは以前、小さな会場で観客が息をする音まで聞こえるような感覚を好むと話していた。
#91その夜は何千人もいるのに、不思議なくらい距離が縮まった。
#92公演後、`Someone Like You` はイギリスのチャートで1位へ上がった。
#93Adeleはアメリカにいる時、早朝にJonathan Dickinsから電話を受けた。
#94初めてのUK No.1だと知らされた。
#95彼女は泣いた。
#96そして母Pennyに電話した。
#97十代で娘を産み、家で音楽を聴かせ続けた母に。
#98その頃、`21` はアルバムチャートの上位にあり、前作 `19` まで再浮上した。
#99`Rolling in the Deep` と `Someone Like You` も同時にチャートを埋めていた。
#100でも、BRIT Awardsの一夜だけで `21` の世界的成功を説明することはできない。
#101`Rolling in the Deep` が世界中でヒットした。
#102`Someone Like You` も広がった。
#103`Set Fire to the Rain` も続いた。
#104そしてアルバムは発売直後だけではなく、その後も長く売れ続けた。
#105最終的には数千万枚規模になった。
#106Adele自身は、後になってそのことを少し奇妙に語っている。
#107自分は失恋を乗り越えるために、かなり自分本位に曲を書いていた。
#108世界中の人を救おうとして書いたわけじゃない。
#109でも実際には、何千万人もの人がその歌を聴き、自分の失恋を思い出し、泣いた。
#110Adele個人の失敗が、いつの間にか世界中の人の記憶を入れる器になっていた。
#111`21` の成功と声帯の危機は、別々の時期に起きたわけではない。
#112ほとんど同時に進んでいた。
#1132011年、Parisのラジオ番組で歌っていた時だった。
#114突然、声が消えた。
#115Adeleは後に、カーテンが落ちたようだった、スイッチが切れたようだったと話している。
#116喉の中で何かがpopした感じもあった。
#117検査では声帯にbenign polypがあり、出血も起きていた。
#118ここを単純に「ツアーのやりすぎでポリープができた」とまとめると正確ではない。
#119重要なのは、問題が起きたあとだった。
#120Adeleは後になって、本当ならその時点で半年ほどしっかり休むべきだったと振り返っている。
#121でも `21` はちょうど巨大な成功の真ん中にあった。
#122番組出演がある。
#123インタビューがある。
#124公演がある。
#125ツアーがある。
#126本人の言葉を借りれば、完全に"eye of the storm"だった。
#127少し休んで戻る。
#128また問題が起きる。
#129公演を中止する。
#130回復してまた歌う。
#131そして再び出血する。
#132最後には、選べなくなった。
#133すべてを止めるしかなかった。
#134Adeleにとって歌がただの仕事だったなら、話はもう少し単純だったかもしれない。
#135でも彼女にとって歌は仕事であり、趣味であり、愛することであり、自由でもあった。
#136その一番大切なものを続けるために歌っていたのに、歌い続けることで失うかもしれない状態になった。
#1372011年11月、AdeleはBostonのMassachusetts General Hospitalで手術を受けた。
#138執刀したのはSteven Zeitels。
#139目的は声をもっと派手に変えることではない。
#140benign polypに関連して繰り返していた出血を止め、声帯を安定させることだった。
#141手術は終わった。
#142でも、その後にAdele自身が守らなければならない時間があった。
#143しゃべらないこと。
#144約5週間。
#145もともとAdeleはよくしゃべる。
#146ライブでも曲の合間に話し続けるタイプだった。
#147そんな人が突然、自分の声を使えなくなった。
#148人に何か伝えたければ紙に書く。
#149あるいはスマートフォンのtext-to-speechを使う。
#150そこでAdeleらしい問題が起きた。
#151アプリによっては、入力した悪態をちゃんと読んでくれなかった。
#152それでAdeleは、きちんとswear wordsまで発音してくれるアプリを探した。
#153世界中が知っている歌声を持つ人が、自分ではしゃべれないので、スマートフォンに代わりに悪態をついてもらっていた。
#154深刻な危機の中にも、Adeleらしい可笑しさが残っていた。
#155やがて少しずつ自分の声を使えるようになった。
#156Anderson Cooperの前で `Someone Like You` を少し歌ってほしいと言われると、Adeleは伴奏なしで歌った。
#157ここを「怖くて声を信じられなくなった歌手が、少しずつ自信を取り戻した」と描きたくなる。
#158でもAdele本人の感覚は少し違った。
#159むしろ前より自信が出たと話している。
#160声が滑らかに感じられた。
#161以前のように「この音は本当に出るだろうか」と不安にならなくなった。
#162clean slateのようだった。
#163ただし、声が無限に使えると思ったわけではない。
#164200公演規模のツアーを続ければ、また同じような問題が起こるかもしれない。
#165声は戻った。
#166でも同時に、その声には限界があることも残った。
#167数か月後、AdeleはGrammyのステージに立った。
#168`Rolling in the Deep` を歌った。
#169そしてその夜、六つのGrammyを受賞した。
#170少し前まで自分の口で話すことすら禁じられていた人が、再び世界最大級の音楽ステージで歌っていた。
#171Adeleのキャリアはその後も小さくならなかった。
#1722015年には `25` を出した。
#173`21` の次という巨大なプレッシャーがあったのに、また記録的な成功をした。
#174そして今度は、本当に大規模なツアーをした。
#175Europe、North America、Australia、New Zealand。
#176最後はLondonのWembley Stadiumで四公演をする予定だった。
#177かつてarenaすら怖がっていたAdeleが、今度はstadiumを埋めていた。
#178ところが2017年、Wembleyの最初の二公演を終えたあと、声に再び問題が起きた。
#179最後の二公演は中止になった。
#180Adeleはどうにか開催する方法を考えた。
#181lip-syncで乗り切ることまで一度は考えた。
#182でもやめた。
#183それは自分ではない。
#184そんな形で観客の前に出ることはできない。
#1852011年の手術は、声の問題を人生から消してくれたわけではなかった。
#186Adeleはさらに大きなスターになれる。
#187何万人の前でも歌える。
#188でも声帯そのものは、人間の体の一部のままだった。
#189その間、Adeleの私生活も変わっていた。
#190Simon Koneckiとの間に息子Angeloが生まれ、二人は結婚し、その後別れた。
#191以前のAdeleなら、その失恋を「相手に何をされたか」という歌にしたように見えるかもしれない。
#192でも彼女自身は、今回の関係をそう説明していない。
#193Simonが悪い人だったわけではない。
#194決定的な裏切りがあったわけでもない。
#195Adeleは、自分が幸せではなくなっていたと話している。
#196ちゃんと生きているのではなく、ただ生活をこなしているような感覚があった。
#197しかも今度はAngeloがいた。
#198ある時、まだ幼いAngeloが母に不思議なことを言った。
#199Adeleは自分を見ることができる。
#200でも、自分からはAdeleが見えない。
#201目の前にはいる。
#202でも心の中では、母がどこかにいなくなっている。
#203そんな言葉としてAdeleには響いた。
#204翌日、彼女はstudioへ行った。
#205そして息子のために曲を書き始めた。
#206そこから生まれた `30` は、`21` とは違う失恋のアルバムになった。
#207Adeleは以前の自分の歌について、基本的には「あなたがこうした」「あなたがああした」と相手に向けていたと振り返ったことがある。
#208でも今回は、途中で別のことに気づいた。
#209どの物語にも自分がいる。
#210いつも登場しているのは自分じゃないか。
#211だったら、自分のほうにも目を向ける必要があるんじゃないか。
#212`30` にはその視線がある。
#213だから、ただのdivorce albumではない。
#214Angeloがいつか大人になった時、なぜ母が家族の形を変える決断をしたのか、その説明にもしたかった。
#215`My Little Love` には、実際の母子の会話まで入っている。
#216若い頃のAdeleは、自分のために失恋を書いた。
#217すると世界中の人がその歌を自分の物語にした。
#218`30` では逆に、将来たった一人に理解してほしい気持ちまで曲の中に入った。
#219息子に。
#220Adeleには、恋愛よりずっと前から続いていた関係の傷もあった。
#221父Mark Evansだ。
#222彼はAdeleの子ども時代の大部分で不在だった。
#223Adeleは父のalcoholismや、そばにいなかったことが自分に残した影響について話している。
#22412歳頃には、Father's Dayに父を驚かせようとして会いに行ったこともあった。
#225でも父は来なかった。
#226Adeleは、その頃にもう会わないと決めたと振り返っている。
#227有名になってから、関係はさらに悪くなった。
#228MarkがAdeleについての話をtabloidに売った。
#229Adeleは激怒した。
#230修復しかけていた距離は、また遠くなった。
#231そんなMarkが癌になった。
#232死が近づくにつれて、二人は再び連絡を取るようになった。
#233そこには妙なねじれがあった。
#234世界中がAdeleの音楽を知っている。
#235でも実の父は、娘の音楽をほとんど聴けずにいた。
#236感情的にあまりにつらかったからだ。
#237Adeleは最後に、新しい曲を父に聞かせた。
#238`To Be Loved` もそのひとつだった。
#239二人は泣いた。
#240その後、Markは `19`、`21`、`25` と過去のアルバムも聞いた。
#241Adeleは、父が好きになった曲が自分の好みと驚くほど似ていたと話している。
#242もちろん、それですべてが解決したわけではない。
#243父がいなかった時間は消えない。
#244Adeleが傷ついた事実も消えない。
#245でもMarkが亡くなる前、二人は許し合い、ある程度の平穏にたどり着けたとAdeleは語っている。
#246長い間、知らない人たちがAdeleの曲を使って自分の人間関係を理解してきた。
#247最後には、その音楽がAdele自身の最も古い壊れた関係を見つめる場所にもなった。
#2482022年1月に戻ろう。
#249`30` は成功し、AdeleはLas Vegas residencyの準備をしていた。
#250延期を発表した時、最初に説明した理由ははっきりしていた。
#251COVIDの影響。
#252制作スタッフの欠員。
#253配送の遅れ。
#254完成していないproduction。
#255それらは後になって嘘になったわけではない。
#256ただ、Adeleが数か月後に話した内容には、もうひとつの問題が加わっていた。
#257ショー自体が自分に合っていなかった。
#258soulがないと感じた。
#259bandとの距離がありすぎた。
#260観客とのintimacyがなかった。
#261だからこそ、ドレスリハーサルでステージの端に座り、マイクを外して歌った場面が重要になる。
#262Adeleはそこで、「大きなショーは嫌だ」と気づいたわけじゃない。
#263巨大なショーの中で、自分自身が見えなくなっていることに気づいた。
#264何日も前から、止めるしかないという感覚はあった。
#265それでも開幕前日の中止は残酷だった。
#266ファンはもうLas Vegasにいた。
#267お金も使っていた。
#268旅行も予定していた。
#269Adeleは決断の前後で30時間以上眠れない状態になった。
#270そして延期を発表した。
#271批判は強かった。
#272Adele自身も何か月も恥ずかしかったと話した。
#273この出来事を「キャリアで最悪の瞬間」と呼んだ。
#274でも時間が経つと、もうひとつ別の感情も生まれた。
#275自分が必要だと思ったものを守ったことには、誇りを持てる。
#276その判断で自信がついた。
#277つまりAdeleにとって、
#278最悪の瞬間と、
#279自分を信じた決断は、
#280同じ出来事だった。
#2812022年11月18日。
#282Adeleはついに `Weekends with Adele` の初日を迎えた。
#283最初に `Hello` を歌った。
#284続いて `Easy on Me`。
#285観客は立ち上がった。
#286Adeleは泣いた。
#287そして、自分がstanding ovationを受ける側ではなく、むしろ観客に拍手を返すべきだと話した。
#288戻ってきてくれたのは観客だったから。
#2891月には、延期で傷つけてしまったファンが遠くに存在していた。
#290今度はその人たちが実際に目の前にいた。
#291そして完成したショーは、決して小さくなかった。
#292大きな映像。
#293strings。
#294水を使った演出。
#295燃えるピアノ。
#296派手な仕掛けもあった。
#297つまりAdeleが求めていたのはminimalismではなかった。
#298Stufishと再設計したステージは、必要な時にはAdeleとピアノだけの小さな空間のように見え、別の瞬間には一気に大きく開くように作られた。
#299演出がAdeleの代わりをするのではなく、Adeleを囲む。
#3001月のリハーサルでは巨大な空間に飲み込まれていた。
#30111月には、その巨大さを自分の側に置くことができた。
#302`Weekends with Adele` は何度も延長された。
#304最初は一夜すら開けなかった公演が、Adeleにとってかなり長く続けられる仕事の形になった。
#305理由はショーの出来だけではない。
#306Angeloの存在も大きかった。
#307world tourなら、都市から都市へ移動し続ける。
#308家庭の生活そのものがツアーに巻き込まれる。
#309でもLas Vegas residencyなら、同じ会場へ戻ってくることができる。
#310Angeloは自分の日常を維持しやすい。
#311Adeleも定期的にステージへ立てる。
#312Adeleは後に、このresidencyが当時の自分の人生に必要なものだったと話している。
#313スターのキャリアでは、次の問いはたいてい「もっと大きくするにはどうするか」になりやすい。
#314でもAdeleが向き合った問いは少し違っていた。
#315これを続けながら、自分はどんな生活を送りたいのか。
#3162024年、AdeleはMunichで公演した。
#317しかも今度は、Adeleのために巨大なtemporary stadiumまで作られた。
#318一晩に7万人以上。
#319十公演。
#320合計73万人を超える観客が集まった。
#321だからAdeleの物語を「最終的に小さな会場を選んだ歌手」とまとめることはできない。
#322彼女は大きな舞台をやめたのではない。
#323自分が納得できる形なら、大きな舞台にも立てた。
#324若い頃のAdeleは、arenaを考えるだけでも怖かった。
#325stage frightはかなり強かった。
#326でもMunichでは、自分について少し違う言い方をした。
#327自分は一番comfortableなperformerではない。
#328でも、performanceはとても上手い。
#329怖さが消えたわけじゃない。
#330ただ、「自分はちゃんとできる」という判断まで恐怖に奪われなくなっていた。
#3312024年8月31日。
#332Munich最後の公演。
#333Adeleは泣きながら、残っているLas Vegas公演を終えたら長い休みを取ると話した。
#334この数年間、自分は新しい人生を作ってきた。
#335だから今度は、その人生を実際に生きたい。
#336これは失敗から出た言葉ではない。
#337Munichには大勢の観客が来た。
#338Vegasの公演も成功していた。
#339人気がなくなったから休むわけではなかった。
#34011月23日。
#341Las Vegasで100回目、そして最後の `Weekends with Adele` を終えた。
#342Adeleはそこで、2022年1月の最初のショーをあのまま強行していたら、今この最終日まで続いていなかったと思うと振り返った。
#343Angeloに感謝した。
#344Rich Paulに感謝した。
#345延期のあともう一度戻ってきてくれた観客にも感謝した。
#346そして、次にいつperformしたくなるのかは自分でもわからないと話した。
#347引退だとは言わなかった。
#348いつか戻ってくるつもりだとも言った。
#349でも次のtourを発表して終わる夜ではなかった。
#350若い頃と比べると、その違いは大きい。
#351最初は友人が勝手に近い感覚でデモをMySpaceへ載せた。
#352音楽業界の人が先に見つけた。
#353managerも先に可能性を信じた。
#354Adele自身が理解するより早く、キャリアのほうが走り出した。
#355その後、世界はもっとAdeleの声を欲しがった。
#356もっと曲を。
#357もっと公演を。
#358もっと大きな会場を。
#359一時期は、その勢いの中で声帯から出血しても、必要なほど長く止まれなかった。
#360でも2024年のAdeleは違った。
#3617万人のstadiumを埋められる人気はまだある。
#362Vegasも成功している。
#363それでも、
#364どの場所で歌うか。
#365どんなshowなら自分のものだと思えるか。
#366どれくらい続けるか。
#367そしていつステージを降りるか。
#368その条件を決めるのはAdele自身になっていた。
#369Adeleは長い休みに入る前、音楽から少し離れて別のcreative thingsもやってみたいと話していた。
#370その言葉は思いがけない方向へ進んだ。
#3712025年、Tom FordがAnne Riceの小説 `Cry to Heaven` を映画化することが発表され、そのcastの中にAdeleの名前があった。
#372Adeleにとって初めての本格的な映画出演だ。
#3732026年初めにはItalyで実際に撮影も行われた。
#374少し面白いのは、Adeleが昔は俳優になることにかなり消極的だったことだ。
#375自分はsingerだ。
#376できることに集中したい。
#377有名になったからといって何でもやって、全部中途半端にはしたくない。
#378そんな考えを話していた。
#379ところが長い音楽休暇に入ってから、最初に選んだ大きな創作活動は新しいalbumではなく映画だった。
#3802026年9月現在、新しいstudio albumも新しいtourも公式には発表されていない。
#381次にAdeleがいつ音楽へ戻るのかは、まだ誰にもわからない。
#382でも昔とはひとつだけ違う。
#383最初に「この声はもっと多くの人に聞かれるべきだ」と決めたのは、Adele以外の人たちだった。
#384今は、その声を次にいつ使うのかをAdele自身が決められる。
#385がAdeleと出会った頃、彼は巨大な音楽企業のオフィスではなく自宅を拠点に仕事をしていた。それがやがて世界最大級の歌手を長く支えるmanagement relationshipへ変わっていく。優れたmanagerに必要なのは、artistをもっと速く走らせることなのか、それとも急がせない判断なのだろうか。
#386Adeleの手術を担当したにとって、Adeleは唯一の有名患者ではなかった。彼が扱うのは、ほんの小さな組織の変化が歌手の仕事そのものを左右するprofessional voiceの世界だ。医学は有名な声をどこまで修復しても、その人だけの声を残せるのだろう。
#387Vegasの舞台を作り直したが解こうとしたのも、単純に「もっと豪華にする」という問題ではなかった。同じ大空間を、ある瞬間にはAdeleとピアノだけの部屋のように感じさせ、次の瞬間には巨大なspectacleへ広げる必要があった。何千人もいる場所を、人はどうすれば心理的に小さく感じられるのだろう。
#388そして音楽を離れたAdeleが初めて本格的に組んだ映画監督も、すでに一度まったく別の世界へ移った人だった。fashion designerからfilm directorへ進んだFordが、の歴史小説を映画化する。違う創作世界から来た三つのキャリアが一つの作品で交わると、何が生まれるのだろう。