NCAAの得点記録と女子バスケットボールの観客規模を大きく動かしたアメリカのバスケットボール選手
ボールを最も握る選手だったケイトリン・クラークは、なぜ「手放すこと」を学ばなければならなかったのか
#12024年の夏、アメリカ女子バスケットボールで、少し奇妙な光景が生まれた。
#2ケイトリン・クラークは大学4年間で3,951得点を積み上げ、NCAA Division Iの男女を通じた歴代最多得点者になっていた。
#3アイオワの試合はテレビ視聴記録を次々に更新した。
#4WNBAドラフトでは、インディアナ・フィーバーから全体1位で指名された。
#5それなのに、パリ五輪へ向かうアメリカ代表の12人に、その名前はなかった。
#6アメリカで最も話題になっている女子バスケットボール選手が、アメリカ代表には入っていなかった。
#7当然、議論になった。
#8これほど新しい観客を競技に連れてきた選手を、なぜ五輪に連れていかないのか。
#9一方で、代表は人気投票で決めるものではない、という反論もあった。
#10クラーク自身は、公の場で不満をぶつけなかった。
#11選ばれた選手たちを応援すると話し、自分にとっては次へ向かうモチベーションになるとも語った。
#12その反応は、彼女のこれまでを考えると少し意外だった。
#13ケイトリン・クラークは、本来「順番を待つ」ことが得意なタイプではなかったからだ。
#14クラークがまだ5歳ほどだった頃、同年代の女子が入れるちょうどいいバスケットボールチームが身近になかった。
#15だから男子の中でプレーした。
#16家に帰っても競争は続いた。
#17兄弟やいとこたちに囲まれ、何をするにも勝ち負けがついて回るような環境だった。
#18転んだり、負けて泣いたりしたからといって、競争そのものを軽くしてもらえるわけではなかった。
#19もう一度入っていく。
#20もう一度勝負する。
#21そういう感覚を早くから身につけていった。
#22しかも、やっていたのはバスケットボールだけではない。
#23サッカー、ソフトボール、バレーボール、テニス、ゴルフ。
#24さまざまな競技を経験した。
#25その中で一貫していたものがある。
#26自分が結果を変えられる、という感覚だ。
#27それは後に、普通の選手ならまず選ばない距離から3ポイントシュートを放つ大胆さにつながった。
#28だが同時に、別の性質も育てた。
#29周囲の誰かが自分ほど勝利を求めていないように見えたとき、その人を信じるのが難しくなる。
#30その性格は、高校時代に全米の名門校から勧誘されるようになった頃にも、すでに彼女の中にあった。
#31進学先として、最も自然に見えた学校があった。
#32ノートルダムだった。
#33クラークの家族にとって、ノートルダムは馴染みのある存在だった。
#34家族も好意的だったし、クラーク自身もその学校に魅力を感じていた。
#35そして17歳のクラークは、名将マフェット・マグローに電話をかけ、ノートルダムへ進学する意思を伝えた。
#36そのあと、アイオワのリサ・ブルーダー監督にも電話を入れた。
#37そちらには行かない、と。
#38普通なら、それで終わりだった。
#39だが、正式発表はなかなか出なかった。
#40クラークは迷い続けていた。
#41アイオワも、最後に突然現れた選択肢ではなかったからだ。
#42アシスタントコーチのジャン・ジェンセンは、クラークが全国区のスターになるずっと前から彼女を見ていた。
#43朝6時30分から行われる高校のオープンジムを見るため、アイオワシティを午前4時過ぎに出発したこともあった。
#44長い時間をかけて、関係が築かれていた。
#45そしてアイオワには、ノートルダムとは違う魅力があった。
#46完成された名門へ入ることではなく、
#47自分で何かを起こす余地があった。
#48クラークは高校時代から、アイオワをFinal Fourへ連れていきたいと話していた。
#49当時、アイオワが最後にFinal Fourへ進んだのは1993年だった。
#50やがてクラークは、最初の決断を変えた。
#51まず、マグローに電話しなければならなかった。
#5217歳の少女が自分の部屋で緊張しながら、すでに伝えた約束を取り消す電話をかける。
#53簡単なことではなかった。
#54マグローは理解を示した。
#55そして次に、ブルーダーへ電話した。
#56ブルーダーは夫とレストランの地下にある暖炉の近くに座っていた。
#57クラークは「少し話せますか」と切り出し、
#58アイオワへ行きたいと伝えた。
#59ブルーダーはシャンパンを注文した。
#60さらにもう一本。
#61ところがクラークには、まだもう一つ気の重い話が残っていた。
#62母親には、まだ伝えていなかった。
#63家族で話し合いが行われた。
#64その中で両親は、自分たちが思い描いていた進路以上に、娘自身が具体的な未来像を持っていることを受け入れていった。
#6517歳のクラークは、大きな人生の選択を自分で押し通した。
#66ただ、アイオワで彼女を待っていたのは、もっと難しい種類の「信じること」だった。
#67自分を信じることではない。
#68周囲を信じることだった。
#69クラークは大学に入ってから、何年もベンチで待たされた選手ではない。
#701年目から平均26点以上を記録し、アシストも平均7本を超えた。
#71最初から全米トップクラスだった。
#72問題は才能ではなかった。
#73信頼だった。
#74クラークは、自分ほど練習していないように見える味方に苛立つことがあった。
#75自分はこれだけ体育館にいて、これだけシュートを打っている。
#76なのに、なぜあの選手は同じだけやらないのか。
#77そう思ってしまう。
#78そして、その選手が重要な場面で本当に決めてくれると信じられなければ、
#79たとえフリーでもパスを出さないことがあった。
#80皮肉な話だった。
#81後に大学バスケットボール史上でも屈指のアシスト数を残す選手が、
#82「誰にボールを預けるか」という部分で苦しんでいた。
#83その問題はチーム内でも表に出た。
#841年目のあるチームミーティングでは、クラークが味方を信頼していないことで傷ついている選手たちの思いが話された。
#85そのとき前に出た一人が、ケイト・マーティンだった。
#86マーティンは、クラークが付き合いやすい選手ではないことを知っていた。
#87二人とも負けず嫌いで、練習中にぶつかることもあった。
#88それでもマーティンは、大事な瞬間ならクラークと同じ側にいたいと思っていた。
#89欠点に気づいていなかったのではない。
#90気づいていた。
#91そのうえで信じた。
#92ある試合のあと、クラークはロッカールームで厳しい言葉を浴びた。
#93人前では耐えた。
#94だが母親の車に乗ると、泣き出した。
#95自分と周囲では、目指しているものが同じではない気がする。
#96そんな思いを母親に打ち明けた。
#97この感覚は、若いクラークの難しさをよく表している。
#98彼女は「自分は欲張りすぎるのかもしれない」と感じていた。
#99もっと練習したい。
#100もっと勝ちたい。
#101もっと遠くまで行きたい。
#102それなのに周囲が同じ強さで望んでいないように見えると、
#103どうやって大事な局面を任せればいいのか分からなくなる。
#104リサ・ブルーダーは、そこから競争心そのものを取り除こうとはしなかった。
#105ロゴ付近から打つシュートをやめろとも言わなかった。
#106普通の選手には無謀なシュートでも、ケイトリン・クラークなら合理的な選択になりうる。
#107それを理解していた。
#108だからブルーダーの仕事は、スターを単純に抑えることではなかった。
#109この火を消さずに、どうやってチームの中で燃やすか。
#110大学3年目の頃、ブルーダーとクラークは、フィル・ジャクソンがマイケル・ジョーダンをどう扱ったかという話を参考にした。
#111ジョーダンも、猛烈に努力する選手だった。
#112そして自分と同じ基準を周囲に求めてしまうところがあった。
#113あるときクラークが、ある味方が十分に体育館へ来ていないと不満を口にした。
#114ブルーダーは尋ねた。
#115じゃあ、自分から一緒に練習しようと誘ったことはあるのか、と。
#116クラークの答えは、ノーだった。
#117短い質問だった。
#118だが、責任の向きを変える質問だった。
#119誰よりも練習する。
#120そして、足りない人を見つけて評価する。
#121それだけがリーダーではない。
#122自分が望む場所まで、誰かを連れていくこともリーダーの仕事になる。
#123クラークが急に穏やかな人間になったわけではない。
#124審判への不満は顔に出た。
#125ミスをすれば苛立った。
#126負けることは、相変わらず誰よりも嫌いだった。
#127変わったのは、自分の感情が自分だけのものではないと理解し始めたことだった。
#128クラークが沈めば、味方にも伝わる。
#129クラークが信じれば、味方のプレーも変わる。
#130その成長が、すぐ大きな結果につながったわけではない。
#1312022年。
#132アイオワはNCAA Tournamentで第2シードを得た。
#133しかもホームで戦える。
#1342回戦の相手は第10シードのクレイトンだった。
#135多くの人がアイオワの勝利を予想した。
#136だが結果は64対62。
#137敗退だった。
#138クラークは15得点11アシストを記録したが、シーズンはそこで終わった。
#139この敗戦がすべてを変えた、と書くのは簡単だ。
#140でも、それを証明する材料はない。
#141重要なのは、そのあとアイオワが何をしたかだった。
#142チームを作り直さなかった。
#143同じ選手たちが、また一緒にプレーした。
#144クラーク。
#145モニカ・シナノ。
#146ケイト・マーティン。
#147ギャビー・マーシャル。
#148マッケナ・ウォーノック。
#149同じ選手たちが時間を重ね、
#150互いがどこへ動くのか、
#151誰がどんな状況を得意とするのか、
#152少しずつ理解していった。
#153その蓄積が、翌年、最も強い相手の前で試される。
#1542023年のFinal Four。
#155相手はサウスカロライナ。
#156前年王者で、シーズン無敗。
#15742連勝中だった。
#158サイズも運動能力も、アイオワより上に見えた。
#159その試合でクラークは41得点を挙げた。
#160数字だけを見れば、
#161「天才一人が無敗の王者を倒した」
#162という話にしたくなる。
#163でも実際の試合は、それより少し面白い。
#164アイオワは守備でゴール下を固め、サウスカロライナの外からのシュートをある程度許容するプランを選んだ。
#165攻撃では、スクリーンを使いながらクラークを中心に複数の選択肢を作った。
#166相手がクラークへ寄れば、別の選手が空く。
#167スクリーンを使う選手が抜けるスペースも生まれる。
#168そして何より、クラークが普通ではない距離から本当にシュートを決められるため、
#169相手は想定よりずっと外側から守らなければならなかった。
#170その結果、味方が使える空間が広がった。
#171第4クォーター、アイオワが挙げた18点のうち16点をクラークが決めた。
#172残りの1本も、クラークのアシストから生まれた。
#17377対73。
#174アイオワが勝った。
#175高校時代にクラークが口にしていたFinal Fourの夢は、ついに全米決勝へつながった。
#176ただし、優勝はできなかった。
#177決勝ではLSUに102対85で敗れた。
#178それでも、この頃にはコートの外でも何かが変わり始めていた。
#1792023年、LSUとアイオワの全米決勝は平均約990万人が視聴した。
#180当時、女子大学バスケットボール史上最多だった。
#181数か月後、アイオワはアメリカンフットボール用のキニック・スタジアムでエキシビションを開催した。
#182集まった観客は55,646人。
#183そして2024年のNCAA Tournamentでは、さらに数字が跳ねた。
#184LSUとの再戦は1,200万人台。
#185UConnとのFinal Fourは1,400万人台。
#186サウスカロライナとの全米決勝は平均1,890万人。
#187終盤には2,400万人を超えた。
#188ただし、
#189「クラークが女子バスケットボールを一人で人気競技にした」
#190と書くのは違う。
#191彼女より前にはサブリナ・イオネスクがオレゴンで大観衆を集めていた。
#192同じ2020年入学組では、ペイジ・ベッカーズが先に全米Player of the Yearとなり、世代の中心のように見えていた。
#193サウスカロライナやUConnには、すでに大きなファンベースがあった。
#194エンジェル・リースとLSUも、2023年の爆発的な注目を生み出した重要な存在だった。
#195WNBA自体も、クラーク加入前から成長していた。
#196クラークが最初の火をつけたわけではない。
#197ただ、その火が広がる速度を異常なほど速くした。
#198それを示す興味深い数字がある。
#1992024年のNCAA Tournamentでは、
#200アイオワが出ていない試合の視聴者も大きく増えた。
#201クラークを見るために女子バスケットボールへ入ってきた人が、
#202クラークのいない試合まで見るようになった。
#203他の選手の名前を知る。
#204他のチームを知る。
#205他のライバル関係を知る。
#206「Caitlin Clark effect」を考えるなら、
#207単にクラークの試合だけが大きくなった、という話では足りない。
#208一人に集まった注目が、競技そのものへ流れ込んだ。
#209そこが大きかった。
#2102024年のFinal Four。
#211アイオワの相手はUConnだった。
#212UConnのニカ・ミュールは、試合を通してクラークを執拗に追いかけた。
#213前半、クラークは3ポイントを6本打って、一本も決められなかった。
#214これまでなら、
#215「では、いつクラークが自分で試合を取り返すのか」
#216が最大の問いになっていた。
#217だが、この日アイオワで最も得点した選手はクラークではなかった。
#218ハンナ・スチュールキーだった。
#21923得点。
#220UConnの守備がクラークへ集中する中で、
#221クラークは味方へボールを渡し続けた。
#2221年目の頃なら、
#223フリーの味方を見ても本当に任せていいのか迷っていたかもしれない。
#224最後の大学Final Fourでは、
#225自分が止められていても、別の選手が試合を決められる状態になっていた。
#226アイオワは勝った。
#227この頃クラークは、自分をチームの「emotional leader」だと捉えていた。
#228自分の感情を、味方がそのまま感じ取ることを理解していた。
#229責任は、シュートを決めることだけではない。
#230味方が自分のシュートを決められると思える空気を作ることでもある。
#231アイオワはUConnを破った。
#232そして決勝では、サウスカロライナに87対75で敗れた。
#233クラークはNCAA優勝なしで大学を去った。
#234それでも、入学した頃のクラークと、最後のクラークには違いがあった。
#235「私が勝たせなければいけない」
#236から、
#237「私たちで勝つ方法を探す」
#238へ。
#239完全ではないが、少しずつ移っていた。
#2402024年のWNBAドラフト。
#241インディアナ・フィーバーはクラークを全体1位で指名した。
#242そしてプロは、すぐに違いを見せた。
#243フィーバーは開幕9試合で1勝8敗。
#244クラークは最初の3試合だけで21ターンオーバーを記録した。
#245WNBAのディフェンダーは大学より大きく、速く、強い。
#246スクリーンを使えば、2人が一気にクラークへ飛び込んでくる。
#247シーズン最初の20試合では、ピック&ロールで89回ブリッツを受けた。
#248当時、次に多い選手のほぼ2倍だった。
#249クラークが新しいチームへ適応する必要があった。
#250ただ、それだけではない。
#251フィーバーの選手たちも、クラークに適応しなければならなかった。
#252パスが予想より早く飛んでくる。
#253クラークが見えているスペースを、味方がまだ見えていないこともある。
#254クラークはケルシー・ミッチェルがいつバックドアへ走るのかを覚え、
#255アリーヤ・ボストンがどこでボールを受けたいのかを覚えていった。
#256味方もまた、クラークが何を見ているのかを覚えていった。
#257ある試合では、クラークが判定に腹を立て、審判の方へ向かおうとした。
#258そのときボストンがクラークの腕をつかんで連れていった。
#259判定に引きずられすぎるな。
#260でも、攻撃性まで失う必要はない。
#261そのままの自分でいろ。
#262そんな意味のやり取りだった。
#263アイオワ時代のケイト・マーティンを思わせる場面だった。
#264クラークが大きな舞台へ進むたび、
#265重要だったのは彼女の競争心を消す人ではなかった。
#266その火が試合から逸れないように向きを戻す人だった。
#267時間がたつと、フィーバーは変わった。
#268クラークとミッチェルの呼吸が合い始めた。
#269ボストンとの連係も深まった。
#270インディアナは20勝20敗でシーズンを終え、
#2712016年以来初めてプレーオフへ進んだ。
#272クラークは平均19.2得点、8.4アシスト、5.7リバウンド。
#273WNBAのシーズンアシスト記録を更新し、
#274新人として初めてトリプルダブルも記録した。
#275Rookie of the Year。
#276All-WNBA First Team。
#277プロの壁がなかったわけではない。
#278その壁をどう使えばいいか、数か月かけて覚えた。
#279ここで再び、2024年のパリ五輪へ戻る。
#280アメリカ代表の候補には、
#281エイジャ・ウィルソン、
#282ブリアナ・スチュワート、
#283ダイアナ・トーラジ、
#284ナフィーサ・コリアー、
#285チェルシー・グレイなど、
#286国際大会と優勝を何度も経験してきた選手たちがいた。
#287代表選考委員会の仕事は、
#288テレビ視聴率を最大化することでも、
#289ユニフォーム売上を増やすことでもない。
#290国際経験。
#291USA Basketballのシステムへの理解。
#292ポジション構成。
#293大会内で必要になる役割。
#294そうした要素が重要になる。
#295クラークは2024年4月のUSA Basketballキャンプに招待されていた。
#296しかしアイオワがFinal Fourへ進んだため、参加できなかった。
#297シニア代表としての国際大会経験もなかった。
#298だから単純な説明はどちらも正しくない。
#299「有名すぎて嫌われたから外された」
#300でもない。
#301「実力が足りなかった」
#302だけでもない。
#303その時点でUSA Basketballは、
#304その大会に最も適していると自分たちが判断した12人を選んだ。
#305クラークは待つことになった。
#306そしてそのあと、もっと直接的に「待つしかない」時間がやってきた。
#307クラークはアイオワの4年間、一試合も欠場しなかった。
#308WNBAの新人シーズンも全試合に出場した。
#309バスケットボールがしたいのに身体のせいでできない。
#310そんな経験は、ほとんどなかった。
#3112025年、それが崩れた。
#312脚や鼠径部の故障が繰り返された。
#3137月には右の鼠径部を痛めた。
#314リハビリ中には骨挫傷も起きた。
#315シーズンで出場できたのは13試合だけだった。
#316復帰を目指して練習を続けた。
#317だが、今回は努力だけでは決められなかった。
#318医療スタッフの許可が必要だった。
#319身体が戻らなければならなかった。
#3209月、結局シーズン残りを欠場することが決まった。
#321クラークは「disappointed」という言葉では足りない、と話した。
#322ところが、そこで一つ意外なことが起きた。
#323インディアナは崩壊しなかった。
#324もちろん、クラークがいない方が強かったという意味ではない。
#325実際にはクラークが出場している方がチームのパフォーマンスは高かった。
#326ただし、
#327「スターが一人いなくなったら、何もできなくなるチーム」
#328ではなくなっていた。
#329フィーバーはプレーオフへ進んだ。
#330そして10年ぶりにプレーオフシリーズを勝ち抜いた。
#331クラークはそれをコートの外から見ていた。
#332そして、逆境の中でチームが強くなったことを誇りに思う、と話した。
#333大学1年目のクラークは、母親の車で泣きながら、
#334自分とチームが本当に同じものを目指しているのか分からない、
#335という思いを漏らした。
#336数年後。
#337今度は自分が試合に出られない。
#338それでも味方たちは戦い続ける。
#339その姿を見て、
#340自分なしでも戦えるチームを誇りに思えるようになっていた。
#3412026年3月11日。
#342プエルトリコ、サンフアン。
#343ケイトリン・クラークが公式戦のコートへ戻った。
#344前回のWNBA出場から239日ぶりだった。
#345しかも、それは単なる復帰戦ではなかった。
#346アメリカのシニア代表として初めて出場する試合でもあった。
#347相手はセネガル。
#348クラークはベンチスタートだった。
#349コートへ入ると、
#350自分の復帰を証明するためにひたすらシュートを打つのではなく、
#351ピック&ロールから味方の得点を作り始めた。
#352出場19分。
#35317得点。
#354そして、
#35512アシスト。
#356アメリカは110対46で勝った。
#357その一試合だけではなかった。
#358大会5試合でクラークは平均11.6得点。
#359平均6.4アシストは大会トップだった。
#360アメリカは5戦全勝。
#361そしてクラークは、
#362初めて参加したシニア国際大会でTournament MVPに選ばれた。
#3632024年には、
#364シニアの国際経験がないことが代表選考における一つの弱点だった。
#3652年後。
#366最初のシニア大会を、MVPで終えた。
#367クラーク自身も、代表はアイオワやインディアナとは違うと理解していた。
#368自分が毎試合一番多くシュートを打つ必要はない。
#369一番多く得点する必要もない。
#370このチームがその瞬間に必要としていることをすればいい。
#371そういう場所だった。
#372その言葉を聞くと、大学1年目のクラークを思い出す。
#373味方がフリーでも、
#374なぜ私がこの選手にパスを出さなければいけないのか、
#375と思うことがあった選手。
#376その選手が239日ぶりに公式戦へ戻り、
#377初めてアメリカのシニア代表ユニフォームを着いた試合で、
#378最も強く残した数字の一つが、
#37912本のアシストだった。
#380そして2026年9月4日。
#381ベルリンでFIBA女子バスケットボール・ワールドカップが始まる。
#382クラークにとって初めてのシニアWorld Cupだ。
#3832年前。
#384パリ五輪では、アメリカ代表の外から大会を見ることになった。
#385今回は中にいる。
#386ペイジ・ベッカーズもいる。
#387エンジェル・リースもいる。
#388大学時代には大きな舞台で反対側に立っていた選手たちが、
#389今は同じUSAのユニフォームを着ている。
#390クラークの物語は、まだ終わっていない。
#391このWorld Cupで何が起きるのかも、まだ分からない。
#392だから、
#393「ついに世界を制した」
#394と書くには早すぎる。
#395ただ、ここまでの変化なら見える。
#396幼い頃からクラークを特別にしてきたのは、
#397ボールを持てば自分で次の展開を変えられる、
#398という強い確信だった。
#399その確信があったから、
#400普通ではない距離からシュートを打てた。
#401アイオワをFinal Fourへ連れていけると信じられた。
#402NCAAの得点記録を塗り替え、
#403女子バスケットボールの観客規模まで揺らした。
#404だが、舞台が大きくなるほど、
#405彼女が学んだことは逆方向だった。
#406いつ、ボールを手放すのか。
#407いつ、味方を信じるのか。
#408いつ、自分が打つのではなく、誰かのシュートを作るのか。
#409いつ、自分がコートに立てなくても、チームを信じるのか。
#4102024年、アメリカ代表はケイトリン・クラークに待つことを求めた。
#4112年後。
#412今の彼女は、ロスターの外で次の機会を待ってはいない。
#413コートの中で、
#414次のパスをどこへ出すかを選ぶ側にいる。
#415ケイトリン・クラークが2020年に大学へ入ったとき、
#416同じ世代で最初に「この世代の中心になる」と見られていた選手は、クラークではなかった。
#417だった。
#418UConnの1年目から全米を驚かせ、
#419APの年間最優秀選手に選ばれた史上初の1年生にもなった。
#420その時点では、女子バスケットボールの次の時代の中心に立っているのはベッカーズに見えた。
#421ところが、その後ベッカーズは大きな故障を繰り返し、
#422クラークはほとんど休まず試合に出て、
#423得点を積み、
#424記録を積み、
#425注目を積み上げていった。
#4262024年のFinal Fourで二人が再び対戦した頃には、
#427世間から見える立ち位置は大きく入れ替わっていた。
#428そして2026年。
#429一時は同じ世代のまったく違う未来を象徴しているように見えた二人が、
#430初めて同じアメリカのシニア代表としてWorld Cupを始める。
#431なぜペイジ・ベッカーズの道は、ケイトリン・クラークとはこれほど違う形になったのだろう?