マンチェスター・ユナイテッドのスターからMLSクラブ共同オーナー、世界的スポーツ・エンターテインメントアイコンへと役割を広げたイングランドのサッカー選手
MLS行きを笑われたベッカムは、なぜメッシを迎えるクラブオーナーになったのか
#12007年1月、デイビッド・ベッカムはレアル・マドリードを離れ、LAギャラクシーへ移籍すると発表した。
#231歳。
#3まだ世界最大級のクラブでプレーしていた選手が、当時は欧州サッカーの中心からかなり遠く見えていたMLSへ行く。
#4だから説明は簡単に見えた。
#5ベッカムも、そろそろキャリアの終盤に入ったんだ。
#6ロサンゼルなら有名人としても似合っている。
#7そんな見方だった。
#8ところが契約には、選手の年俸とは別の奇妙な権利が入っていた。
#9ベッカムと長年のビジネスパートナーサイモン・フラーは、現役引退後にMLSの新規参入クラブを取得できる権利を交渉に入れていた。後に、その行使価格はおよそ2500万ドルと広く報じられることになる。
#10当時、世間が騒いだ数字はそっちじゃなかった。
#11「5年間で2億5000万ドル」。
#12給料だけではなく、スポンサー契約や商業収入まで含めた巨大な推定額のほうだった。
#13でも16年後、ずっと意味を持ったのは小さいほうの数字だった。
#142023年、リオネル・メッシがアメリカへやって来た。
#15行き先はLAギャラクシーではなかった。
#16インテル・マイアミだった。
#17そして、そのクラブの共同オーナーの一人がベッカムだった。
#182007年には、自分がヨーロッパからMLSへ入ってくる世界的スターだった。
#192023年には、別の世界的スターを迎える側にいた。
#20そこまでに何が起きたのか。
#21話はアメリカではなく、ベッカムがまだ「マンチェスター・ユナイテッドでプレーすること」以外をほとんど夢見ていなかった少年時代まで戻る。
#22ベッカムはロンドン東部で育った。
#23でも家の中で愛されていたクラブは、遠く離れたマンチェスター・ユナイテッドだった。
#24父テッドは熱心なユナイテッドファンで、息子をオールド・トラッフォードへ連れて行き、自分でも少年時代のデイビッドを指導した。
#25ベッカムが後年、子どものころの夢を語ると答えはいつもほとんど同じだった。
#26サッカー選手になりたい。
#27それもマンチェスター・ユナイテッドの選手になりたい。
#28最初から誰の目にも未来の世界的スターに見えていたわけじゃない。
#29体は小さく、成長も遅かった。
#30England Schoolboysに選ばれなかった経験も長く記憶に残った。
#31その代わり、異様なほど反復する習慣があった。
#32蹴る。
#33ボールを置く。
#34また蹴る。
#35マンチェスター・ユナイテッドの育成組織に入ってからも、それは変わらなかった。
#36練習場ではゴール上部に古いタイヤを吊るし、離れた位置からその穴へボールを通す練習をしていたという。
#37入れば終わりではない。
#38今度はタイヤの縁に当てずに通そうとする。
#39さらに遠くへ下がる。
#40また蹴る。
#41後に世界中が「ベッカムの右足」と呼ぶものは、実はかなり地味な反復からできていた。
#42ユナイテッドの育成組織で、ベッカムはギャリー・ネヴィル、ライアン・ギグス、ニッキー・バットたちと育った。
#43そこへポール・スコールズやフィル・ネヴィルも加わり、この世代はやがて「Class of '92」と呼ばれるようになる。
#44この話ではアレックス・ファーガソンばかりが有名だけど、日々若手を鍛えたエリック・ハリソンの存在も大きかった。
#45ハリソンは彼らをスター候補として甘やかすのではなく、チームのために走り、規律を守る選手として育てた。
#46ファーガソンは、その若手たちを本当にトップチームで使った。
#47ベッカムはそこで生き残った。
#48ただし、彼は典型的な高速ウインガーではなかった。
#49何人もドリブルで抜いていくタイプでもない。
#50相手を怖がらせたのは、ボールを運ぶ速さより、ボールをどこへ送れるかだった。
#51右サイドからのクロス。
#52長い対角線のパス。
#53コーナーキック。
#54フリーキック。
#55そして派手な右足の陰で忘れられがちな運動量と守備。
#56右後方から上がるギャリー・ネヴィルとの連係も、ユナイテッドの大きな武器だった。
#571998-99シーズンが終わると、ベッカムはUEFA Club Footballer of the Yearに選ばれた。
#581999年のBallon d'Orではリバウドに次ぐ2位だった。
#59ここは大事だ。
#60後のベッカムはあまりにも有名になったから、「有名だから評価されたサッカー選手」のように逆向きに記憶されることがある。
#61でも順番は逆だった。
#62世界的ブランドのDavid Beckhamより先に、世界トップ級のfootballer David Beckhamがいた。
#63その評価の直前、イングランド中がまったく別の彼を見ていた。
#641998年フランスW杯。
#65イングランドは決勝トーナメント1回戦でアルゼンチンと対戦した。
#66ベッカムはディエゴ・シメオネと接触する。
#67シメオネに倒され、挑発され、地面にいたベッカムが脚を伸ばした。
#68レッドカード。
#69イングランドは10人になり、最後はPK戦で敗れた。
#70すると複雑な一試合が、一気に単純な物語へ変わった。
#71ベッカムのせいでイングランドは負けた。
#72帰国後の反応は、普通のスポーツ批判を超えていた。
#73ベッカムを模した人形が吊るされ、スタジアムでも街でも罵声が飛び、殺害予告まで受けた。
#7423歳だった。
#75当時、後に妻となるヴィクトリアは第一子を妊娠していた。
#76その少し前、コロンビア戦では見事なフリーキックでW杯初ゴールを決めていた。
#77でもほとんど意味を失った。
#78一つの瞬間が、その人全体を覆ってしまった。
#79それでも戻る場所はあった。
#80マンチェスター・ユナイテッドだった。
#81ファーガソンとユナイテッドは、W杯から戻ったベッカムを切り捨てなかった。
#82だからといって、外からの敵意が消えたわけじゃない。
#83アウェーへ行けば罵声は続いた。
#84でもシーズンは待ってくれない。
#85練習する。
#86試合に出る。
#87それを繰り返すしかない。
#88そしてそのシーズン、マンチェスター・ユナイテッドは巨大な流れに入る。
#89Premier League優勝。
#90FA Cup優勝。
#91残るのはChampions Leagueだった。
#921999年、バイエルン・ミュンヘンとの決勝。
#93ロイ・キーンとポール・スコールズが出場停止だったため、ベッカムはいつもの右ではなく中央でプレーした。
#94ユナイテッドは終盤まで0-1で負けていた。
#95アディショナルタイム。
#96ベッカムのコーナーキック。
#97混戦からテディ・シェリンガム。
#981-1。
#99すぐ後に、もう一度コーナーキック。
#100またベッカム。
#101シェリンガムが頭でそらし、オーレ・グンナー・スールシャールが決める。
#1022-1。
#103Treble完成。
#104この一夜ですべての憎悪が消えたわけじゃない。
#105でも、少なくとも一つははっきりした。
#1061998年のレッドカード一枚では、ベッカムのサッカー人生を終わらせられなかった。
#107そして3年後、イングランド代表でほとんど正反対の場面が訪れる。
#1082001年10月。
#109イングランドはギリシャとW杯予選を戦っていた。
#110引き分ければ2002年W杯へ自動出場できる。
#111でも試合終了間際、スコアは1-2。
#112負けていた。
#113このときベッカムはもう、1998年の若い問題児ではない。
#114イングランド代表のキャプテンだった。
#115アディショナルタイム。
#116ゴール前でフリーキック。
#117ベッカムがボールの前に立った。
#118子どものころから何度繰り返したか分からない動作だった。
#119ボールを置く。
#120距離を見る。
#121右足を振る。
#122ボールは壁を越えてゴールへ曲がった。
#1232-2。
#124イングランドはW杯へ行った。
#125「この一発で国中が彼を許した」と言ってしまうと綺麗すぎる。
#126実際には、マンチェスター・ユナイテッドでの成功や代表での責任ある立場を通じて、評価はすでに少しずつ変わっていた。
#127それでも対比は強烈だった。
#1281998年には、一瞬の反応でチームを10人にした。
#1292001年には、国のW杯出場がかかる最後のキックを任された。
#130このころのベッカムは、少年時代に欲しかったものをほとんど全部持っていた。
#131マンチェスター・ユナイテッドのスター。
#132Treble。
#133イングランド代表キャプテン。
#134世界最高選手候補。
#135なのに、子どものころから最も大切だったクラブとの関係は、ここから壊れていく。
#136ベッカムの周りでは、サッカー以外の世界が急速に大きくなっていた。
#1371990年代後半にスパイス・ガールズのヴィクトリア・アダムスと交際を始め、1999年に結婚。
#138「Posh and Becks」という言葉そのものが英国メディアの巨大な商品になった。
#139髪型がニュースになる。
#140服がニュースになる。
#141広告契約がニュースになる。
#142ファーガソンは、その変化を警戒した。
#143若いころのベッカムがどれほど練習に取り憑かれていたかを知る一方で、一人の選手のセレブリティ性がチームより大きくなることを嫌った。
#144でもベッカムは、サッカーと有名人生活のどちらかを捨てるつもりには見えなかった。
#145練習する。
#146試合に出る。
#147広告にも出る。
#148ファッションも楽しむ。
#1492003年にはサイモン・フラーが、デイビッドとヴィクトリアの商業活動をより本格的にまとめ始めた。
#150Beckhamという名前が、単なる選手名から広告、ファッション、エンターテインメント、ライフスタイルまで広がり始めていた。
#151そんな中で起きたのが有名な「flying boot」事件だった。
#1522003年2月、アーセナル戦敗北後のロッカールーム。
#153怒ったファーガソンが蹴ったスパイクが飛び、ベッカムの目の上に当たった。
#154もちろん、この一足だけで二人の関係が終わったわけじゃない。
#155戦術的判断。
#156チーム統制。
#157膨張するセレブリティ性。
#158個人的な緊張。
#159いろいろ積み重なっていた。
#160重要なのは、ベッカムが子どものころから夢見たユナイテッドに飽きて去ったわけではないことだ。
#1612003年夏、クラブは彼を売却した。
#162ベッカムはレアル・マドリードへ行った。
#163夢の場所を手に入れた人が、その場所から出される側になった。
#164レアル・マドリードには、すでに世界的スターが集まっていた。
#165ジネディーヌ・ジダン。
#166ロナウド・ナザリオ。
#167ルイス・フィーゴ。
#168ロベルト・カルロス。
#169そこへベッカム。
#170マンチェスター時代の終盤と違って、ここではベッカムの巨大な知名度が必ずしも邪魔ではなかった。
#171Galácticosの構想では、最高級のサッカー選手であることと、世界的スターであることの両方に価値があったからだ。
#172ヨーロッパだけではなく、特にアジアでもベッカムへの注目は圧倒的だった。
#173footballer Beckhamとbrand Beckhamが、ここでは並んで機能した。
#174ただし、サッカー面で簡単だったわけではない。
#175最初の3シーズンはリーグ優勝がなく、監督も入れ替わった。
#176そして2007年、ベッカムがLAギャラクシー移籍を発表すると、監督ファビオ・カペッロは今後使わない方針を示した。
#177また外された。
#178ベッカムは練習した。
#179やがてカペッロは判断を変えた。
#180ベッカムは再び起用され、レアルは最後まで続いた優勝争いを制して2006-07シーズンのLa Liga王者になった。
#181ベッカムはリーグ優勝を置き土産にスペインを去った。
#182完全に終わった選手がMLSへ消えていったわけじゃなかった。
#183だからこそ、アメリカで起きたことはさらに複雑になる。
#184ベッカムのロサンゼルス到着は、普通の移籍ではなかった。
#185MLSは高額スターを獲得しやすくするDesignated Player Ruleを導入し、その制度はすぐに「Beckham Rule」と呼ばれた。
#186注目はすぐ集まった。
#187ユニフォームは売れた。
#188観客は増えた。
#189ハリウッドの有名人まで試合を見に来た。
#190ベッカムが遠征すると、それだけで通常のMLS戦がイベントになった。
#191でもピッチではうまくいかない。
#192ケガ。
#193出場不足。
#1942007年はプレーオフを逃した。
#1952008年も逃した。
#196さらにベッカムはACミランへ期限付き移籍した。
#197イングランド代表でプレーし続けるため、欧州の高いレベルで試合勘を保ちたかったからだ。
#198でもロサンゼルス側から見れば、こう映ることもある。
#199「結局、ヨーロッパのほうが大事なんじゃないか?」
#200チームメイトのランドン・ドノバンは、ベッカムの献身やリーダーシップを公に批判した。
#201ここでは世界的ブランドの肩書きは役に立たない。
#202同じロッカールームの人間が聞いているのは、もっと単純なことだ。
#203本当にこのチームを大事にしているのか。
#204ベッカムがLAへ戻ると、二人はブルース・アリーナ監督も交えて直接話し合った。
#205すでに外へ広がっていた対立を、本人同士で処理した。
#206そしてチームは変わっていく。
#2072009年、MLS Cup決勝。
#2082011年、MLS Cup優勝。
#2092012年、再びMLS Cup優勝。
#210アメリカに来た直後は、商業効果のほうがサッカーの結果より先だった。
#211でも去るころには、トロフィーも残っていた。
#212それでも、LAで最も長く残ったものは優勝ですらなかった。
#213契約書の中のあの権利だった。
#2142007年、巨大な見出しを作ったのは「2億5000万ドル」だった。
#215でもそれはLAギャラクシーが払う単純な5年間の年俸ではない。
#216スポンサーや商業収入を含めた大きな推定値だった。
#217後から重要になったのは、およそ2500万ドルのほうだった。
#218ベッカムとサイモン・フラーが交渉していた、MLS新規参入クラブに関する特別な権利の行使価格だ。
#219もちろん2500万ドルを払えば、そのまま現在のインテル・マイアミが丸ごと手に入ったわけではない。
#220必要なのは投資家。
#221土地。
#222スタジアム。
#223施設。
#224運営資金。
#225リーグの承認。
#226その権利が与えたのは、MLSオーナーになるための異例の入口だった。
#227実際のクラブを作る仕事は、その後に全部残っていた。
#228ベッカムは2013年に現役を引退。
#2292014年、マイアミにMLSクラブを作る計画を発表した。
#230世界で最も有名なサッカー選手の一人なんだから、すぐできそうに見える。
#231できなかった。
#232マイアミのクラブ計画は、何度もスタジアム問題にぶつかった。
#233ウォーターフロント案が止まる。
#234別の場所を探す。
#235そこでも問題が起きる。
#236土地。
#237地域政治。
#238訴訟。
#239資金。
#240年月だけが過ぎていった。
#241ベッカムには名前があった。
#242MLSへの特別な権利もあった。
#243でも、それだけで複雑なアメリカの都市にスタジアムを作れるわけではなかった。
#244ここで「ベッカム一人がクラブを作った」という話も崩れる。
#245オーナーグループは変化し、ホルヘ・マスとホセ・マスが重要なパートナーとして加わった。
#246資本。
#247地域ビジネスの経験。
#248実務。
#249そうしたものが必要だった。
#2502018年、ようやくMLSがマイアミの新規参入を正式承認。
#2512020年、インテル・マイアミが最初のシーズンを戦った。
#252ベッカムがMLSへ選手として入ってから13年後だった。
#253今度の彼は、監督に選ばれる選手ではない。
#254監督や選手を選ぶ側にいる。
#255でもオーナーになったからといって、判断が全部当たるわけでもなかった。
#256ベッカムは監督にフィル・ネヴィルを招いた。
#257ユナイテッドの育成時代からの仲間。
#258Class of '92の同僚だった二人が、何十年も経ってアメリカのクラブで再会する。
#259一人は共同オーナー。
#260もう一人は監督。
#261物語としてはとても綺麗だ。
#262でも結果は綺麗じゃなかった。
#263インテル・マイアミは期待ほど強くならず、2023年にネヴィルは解任された。
#264この失敗は、ベッカムの後半生を見るうえでかなり大事だ。
#265最後の成功を知っていると、過去のすべてが「最初から未来を読んでいた計画」のように見えやすい。
#266実際には違う。
#2671998年のレッドカードは本当にミスだった。
#268ファーガソンとの関係は本当に壊れた。
#269LAの初期は本当に混乱した。
#270マイアミのスタジアム計画は何年も止まった。
#271クラブ経営でも失敗した。
#272ベッカムは結末を知って進んでいたわけではない。
#273そして2023年。
#274インテル・マイアミの規模そのものを変える選手が現れた。
#275リオネル・メッシがパリ・サンジェルマンを離れると決めたとき、選択肢はいくつもあった。
#276ヨーロッパ。
#277サウジアラビア。
#278そしてアメリカ。
#279最終的に選んだのがインテル・マイアミだった。
#280この出来事は「ベッカムがメッシを連れてきた」と一言にすれば格好いい。
#281でも現実はもっと複雑だ。
#282ベッカムは重要だった。
#283自分自身が世界的選手として大陸をまたぐ移籍を経験し、サッカー界での信用と知名度を持っていた。
#284でもホルヘ・マスも長年メッシ獲得の可能性を追っていた。
#285MLS特有の契約構造もあった。
#286リーグ全体の商業パートナーも、メッシがアメリカへ来ることで受ける影響が大きかった。
#287一人の電話一本で決まったわけじゃない。
#288それでも、ベッカムが立っている場所の変化は面白い。
#2892007年。
#290「なぜあのスターがアメリカへ?」と見られる側だった。
#2912023年。
#292別の世界的スターを、自分が共同所有するクラブで迎える側だった。
#293しかも今回は、サッカーの結果もすぐ出た。
#294メッシはインテル・マイアミでのデビュー戦で、アディショナルタイムにフリーキックの決勝点。
#2952023年、Leagues Cup優勝。
#296クラブ史上初タイトル。
#2972024年、Supporters' Shield。
#2982025年、ついにMLS Cup優勝。
#2992007年のLA移籍に埋め込まれていた「第二のキャリア」が、本当に優勝クラブの形にまでなった。
#300ベッカムがどれだけ遠くまで来たのかは、サッカー場の外でも分かる。
#3012025年、スポーツと慈善活動への貢献でナイトの称号を受けた。
#302名前はSir David Beckhamになった。
#3031998年を考えると、不思議な光景だ。
#304W杯敗退後には人形を吊るされ、殺害予告まで受けた。
#30527年後、同じ国から正式な栄誉を受けている。
#306もちろん、ナイト爵が1998年への「公式な赦し」だったわけではない。
#307その後の長いサッカー人生と、慈善活動も含めた評価だ。
#308それでも、一人の社会的な位置がここまで変わる例としては象徴的だった。
#309そして2026年6月。
#310今度は別の「星」が与えられた。
#311場所はサッカー場ではない。
#312Hollywood Boulevardだった。
#3132026年6月12日。
#314ベッカムはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を得た。
#315カテゴリーはSports Entertainment。
#316その場にはヴィクトリア・ベッカムもいた。
#317マンチェスター・ユナイテッド末期を思い出すと、不思議な終着点だ。
#318当時は「ベッカムのセレブリティ性がサッカー選手として大きくなりすぎている」と疑われた。
#319ファーガソンとの関係が壊れていく過程でも、それは何度も語られた。
#320ところが何十年後、そのサッカーと大衆文化の境界をまたぎ続けた人生そのものが、ハリウッドで評価されている。
#321でもこれは、「サッカーを捨ててブランドになった男」の話ではない。
#322むしろ逆だ。
#323少年時代のベッカムにとって、サッカーとはマンチェスター・ユナイテッドで自分がプレーすることだった。
#324その夢をかなえた。
#325そこから出された。
#326別の国へ行った。
#327別の大陸へ行った。
#328やがて選手をやめた。
#329それでもサッカーとの関係は終わらず、そのたび形を変えた。
#330ユナイテッドを夢見る少年が、ユナイテッドの選手になった。
#331国中の悪役が、イングランド代表キャプテンになった。
#332ヨーロッパのスターが、MLSの選手になった。
#333引退した選手が、MLSクラブの共同オーナーになった。
#334そして自分がアメリカへ来てから16年後、リオネル・メッシが自分のクラブへ入ってくる姿を、今度はオーナー側から見た。
#3352007年のLA移籍だけを見れば、ベッカムはサッカーの中心から遠ざかっているように見えた。
#336長く見ると、少し違う。
#337少年時代に夢見た「ピッチでプレーする一人の選手」という役割から離れるほど、ベッカムがサッカーの中で持てる役割はむしろ大きくなっていった。
#338###
#339インテル・マイアミが存在するずっと前から、サイモン・フラーはデイビッドとヴィクトリア・ベッカムを世界的ブランドとして動かす人物だった。
#340ところが彼の名前は、エンターテインメント業界とは少し違う場所にも出てくる。
#3412007年のMLS契約だ。
#342フラーは後に、ベッカムと自分が、現役引退後にMLSクラブを取得できる権利を意図的に交渉したと語っている。
#343当時はスター選手契約の珍しい付帯条件に見えた。
#344何年も後、それが「選手ベッカム」と「オーナーのベッカム」をつなぐ橋になった。
#345なぜエンターテインメントマネージャーが、アメリカサッカー史でも極めて重要なクラブ所有権の交渉に関わることになったんだろう?
#346###
#347ベッカムがロサンゼルスへ来たとき、ランドン・ドノバンはすでにアメリカサッカーを代表する選手の一人だった。
#348最初は理想的な組み合わせにも見えた。
#349ところがドノバンは、ベッカムが本当にLAギャラクシーへ全力を注いでいるのか、公の場で疑問を投げかけた。
#350ベッカムのアメリカ時代でも、最も醜い対立の一つになった。
#351最終的に二人は直接向き合い、その後ギャラクシーは優勝チームになっていく。
#352自分のクラブが軽く扱われたと感じたアメリカのスターと、批判を外へ持ち出されたことに怒った世界的スターの間で、実際には何が変わったんだろう?
#353###
#354アレックス・ファーガソンは、マンチェスター・ユナイテッドの若い世代がトップチームで成長できる環境を作った。
#3551998年W杯後、イングランド中がベッカムを攻撃していたときにも彼を守った。
#356ところが数年後、その関係は壊れ、ベッカムはレアル・マドリードへ売られる。
#357外の世界から守ってくれた監督は、なぜ最後にはベッカムをマンチェスター・ユナイテッドに置かない決断をするまでになったんだろう?