低価格のために家具の設計から生産、輸送、売り方まで組み替えたスウェーデンのホームファニッシング企業
IKEAはフラットパックを発明していない。それなのに、なぜIKEAの象徴になったのか
#11950年代のスウェーデンで、IKEAの家具は売れていた。
#2ところが、その成功が妙な問題を生んだ。
#3既存の家具業界が、メーカーに圧力をかけ始めたんだ。IKEAに商品を供給すれば、それまで付き合ってきた家具店との取引を失うかもしれない。
#4つまりIKEAは、客がいなくて困っていたわけじゃない。
#5客はいるのに、家具をつくってくれる会社が減っていた。
#6この圧力は、IKEAを自分たちで商品を設計する方向へ押していく。
#7でも、後にIKEAの象徴になるフラットパックは、それとは別の問題から育っていった。
#8家具が、大きすぎた。
#9そこへ行く前に、もっと昔へ戻ろう。
#10そもそもIKEAは家具会社として始まっていない。
#11最初に売っていたのは、マッチだった。
#12イングヴァル・カンプラードは5歳ごろからマッチを売っていた。
#13少し成長すると、種、クリスマスカード、鉛筆、ペン、魚など、扱うものを増やしていった。
#14種がよく売れたときには、その利益で自転車とタイプライターを買った。
#15自転車があれば、もっと遠くへ届けられる。
#16タイプライターがあれば、顧客を整理しやすい。
#171943年、17歳になったイングヴァルは会社を登録した。まだ未成年だったため保護者の許可が必要で、父フェオドルが卒業祝いとして登録費用を出した。
#18社名は、自分の名前と育った場所から取った。
#19Ingvar Kamprad。 Elmtaryd。 Agunnaryd。
#20IKEA。
#21ただし、まだ家具は売っていない。
#22ペンや財布、額縁、時計、アクセサリー、ストッキングなどを通信販売していた。
#23家具を扱い始めたのは1948年。
#24これが売れた。
#251952年ごろには他の商品を減らし、家具とホームファニッシングに集中するようになる。
#26すると、安さそのものが問題になり始めた。
#27当時の通信販売家具では、値下げ競争が続いていた。
#28一社が下げる。
#29別の会社がもっと下げる。
#30すると、また誰かが下げる。
#31価格を追いかけるうちに品質まで落とす業者が現れ、通信販売の家具そのものを信用しない客も増えていた。
#32IKEAにも苦情や返品が来た。
#33低価格は必要だった。
#34でも、安すぎると今度はこう思われる。
#35「この値段、本当に大丈夫なのか?」
#36イングヴァルと初期の社員スヴェン=ヨーテ・ハンソンは、さらに値段を下げるのではなく、別の答えを出した。
#37実物を見せることにした。
#381953年、エルムフルトに常設ショールームを開いた。
#39もうカタログの写真だけを信じなくていい。椅子に座れる。引き出しを開けられる。家具を触ってから、値段と品質を比べられる。
#40人が来た。
#41家具も売れた。
#42すると今度は、既存の家具業界がIKEAを本気で警戒し始めた。
#43家具店が怖がったのは、安い椅子が一脚増えたことじゃない。
#44IKEAはカタログで客を集め、中間の流通を減らし、工場から商品を受け取り、ショールームで実物まで見せていた。
#45従来とは違う売り方が形になり始めていた。
#46家具見本市からIKEAを締め出そうとする動きが起きた。
#47メーカーにも圧力がかかった。
#48IKEAに商品を出せば、昔からの取引先を失うかもしれない。
#49まだ小さなIKEAと、長く付き合ってきた家具店。
#50メーカーが後者を選んでも不思議ではなかった。
#51それでもIKEAと取引する工場はあった。廃番品を渡したり、別の名前を使ったり、IKEAとの取引だと目立ちにくい方法で商品を送ったりした。
#52そんななか、ある工場で別の方法が出てきた。
#53既存の約束があるから、そのままではIKEAに売れない家具がある。
#54だったら、違う家具にしてしまえばいい。
#55スケッチを変える。
#56形を変える。
#57そうした仕事に関わったのがギリス・ルンドグレンだった。
#58IKEAは、他社がつくった家具を選んで仕入れるだけでは済まなくなっていった。
#59自分たちで家具を変える必要が出てきたんだ。
#60業界からの圧力は、自社の商品開発を進める理由になった。
#61ただし、フラットパックにつながる問題は別にあった。
#62トラックの中に、たくさんの「何もない場所」があった。
#63完成したテーブルをトラックに積んでみる。
#64天板の下は空いている。
#65椅子の脚の間も空いている。
#66本棚の中も空いている。
#67何もない。
#68なのに、その空間もトラックの場所を使う。
#69そして場所には金がかかる。
#70完成した家具は、運んでいる途中で傷ついたり壊れたりもしやすい。
#71工場で安くつくるだけでは足りなかった。客の家まで運ぶ費用が高ければ、最後の値段は十分に下がらない。
#72IKEAは、有名なLÖVETの話より前からこの問題に触れていた。
#73イングヴァルはOvendalsという供給業者で、客が組み立てやすい構造のテーブルを見ている。1953年のIKEAカタログにも、DELFI、RIGA、KÖKSAなど家庭で組み立てるテーブルがすでに載っていた。
#74その後、何度も語られる場面がやってくる。
#75デザイナーのギリス・ルンドグレンがLÖVETというテーブルを車に積もうとした。
#76うまく入らない。
#77そこで脚を外した。
#78あとで付け直せばいい。
#79この場面だけを見ると、ここでフラットパックが生まれたように思える。
#80でも、そうじゃない。
#81IKEAはフラットパック家具を発明していない。
#82LÖVETより前から、IKEA自身が客の組み立てるテーブルを扱っていた。
#83さらに1944年には、スウェーデンの百貨店ノーディスカ・コンパニーがトリーヴァというフラットパック家具を販売していた。
#84IKEAが家具を売り始めるより前だ。
#85もっと昔までたどれば、19世紀のミヒャエル・トーネットの家具にも、部品の状態で効率よく運ぶ考え方が見える。
#86だから「テーブルの脚を外した瞬間にIKEAがフラットパックを発明した」という話ではない。
#87IKEAが違ったのは、その先だった。
#88すでにある方法を、一部の家具だけの便利な工夫で終わらせなかった。
#89この脚は外せるか。
#90箱をもっと薄くできるか。
#91同じトラックに何個増やせるか。
#92家に着いた客が、自分で組み立て直せるか。
#93こう考え始めると、包装は最後に決めるものじゃなくなる。
#94どんな箱に入るかが、家具そのものを変え始める。
#95ただ、設計できても工場がなければ売れない。
#96そこでIKEAはスウェーデンの外へ向かった。
#971961年、イングヴァルは父フェオドル、購買責任者ラグナル・ステルテ、デザイナーのベングト・ルーダとポーランドへ向かった。
#98売れる量が増え、もっと生産力が必要になっていた。スウェーデンの供給業者だけでは足りず、業界からの圧力も状況を難しくしていた。
#99ところが到着すると、価格交渉どころではなかった。
#100工場を見に来たのに—
#101工場へ入る許可がなかった。
#102そこで助けたのが、ポーランドの技術者で関係者でもあったマリアン・グラビンスキだった。
#103彼の助けで工場へ入れるようになった。
#104翌朝、一行は列車でラドムスコへ向かった。
#105イングヴァルが後に振り返った場面の一つがある。
#106暗い屋根裏。
#107手にはろうそく。
#108彼らは、木を曲げてつくる椅子の生産に使える古い道具を探していた。
#109そこで始まった仕事は、後にIKEAのオーグラへつながっていく。
#110スウェーデンで供給が難しくなったIKEAは、国外に新しい生産のつながりをつくり始めた。
#111そしてマリアンとの関係も、工場へ入れたところで終わらなかった。
#112マリアンとイングヴァルは友人になった。
#113後にミラノで会ったとき、イングヴァルはマルガレータ・ステンネルトと結婚する予定だと話した。
#114マリアンは結婚祝いをつくることにした。
#115ワルシャワへ戻る飛行機の中で収納家具をデザインし、ポーランドの工場で試作品をつくった。
#116そしてイングヴァルに贈った。
#117するとイングヴァルは、それを結婚祝いのままにしておかなかった。
#118IKEAで売りたいと思った。
#119そのデザインはMTPシリーズへ発展し、長く販売された。
#120こういう場面を見ると、IKEAの家具が一人の頭の中だけで生まれていたわけではないのがわかる。
#121社員。 デザイナー。 技術者。 工場。 供給業者。
#122実際につくる人たちとのやり取りのなかで、家具の形が変わっていった。
#123そして商品を自分たちで設計できる範囲が広がるほど、生産しやすさ、運びやすさ、組み立てやすさを一緒に考えられるようになった。
#124あとは、もう一人いる。
#125平たい箱を運んでくれる人だ。
#126客だった。
#1271958年、エルムフルトにIKEA初の大型店舗が開いた。
#128客は実際の部屋のように家具が並ぶ空間を歩き、商品を確かめられた。
#1291965年にはストックホルム郊外に巨大なクンゲンス・クルヴァ店が開く。
#130人が押し寄せた。
#131社員が注文を受け、そのたびに倉庫から商品を出してくる方法では追いつきにくくなる。
#132そこでIKEAは、また仕事を分けた。
#133今度は客と。
#134ショールームで選ぶ。 倉庫へ行く。 平たい箱を探す。 カートに載せる。 車に積む。 家へ持ち帰る。 自分で組み立てる。
#135それまで店側がやっていた仕事の一部を、客が引き受けるようになった。
#136その分、IKEAはコストを抑えられる。
#137ここまで来ると、フラットパックだけを切り離して考えるのは難しい。
#138カタログが客を呼ぶ。
#139ショールームが安い家具を実際に確かめさせる。
#140自社の商品開発が家具そのものを変えられるようにする。
#141国外の供給網が生産量を増やす。
#142フラットパックが保管と輸送の空間を減らす。
#143セルフサービスが店での仕事を変える。
#144客による組み立てが最後の工程まで分ける。
#145IKEAが全部を発明したわけじゃない。
#146別々にあった方法を、一つの仕組みとして動くようにつないだ。
#147その考え方は、ずっと後の本棚にも現れる。
#1481970年代、IKEAには似た本棚がいくつもあった。
#149メーカーが違う。
#150互換性もない。
#151ルーマニアの工場を訪れていたIKEAの技術者アルネ・ハルは、この複雑さを減らせないかと考えた。
#152似た製品を一つにまとめたらどうなるか。
#153工場はつくりやすくなる。
#154客も選びやすい。
#155物流も単純になる。
#156ギリス・ルンドグレンがスケッチを描いた。
#1571979年、BILLYが登場した。
#158何かをたくさん足して生まれた本棚じゃない。
#159むしろ、余分な違いを減らしていくなかで生まれた。
#160かつてIKEAは、トラックの中にある無駄な空間を減らそうとしていた。
#161今度は、商品群の中にある無駄な複雑さを減らそうとしていた。
#162そして何十年たっても、また同じところへ戻ってくる。
#163価格だ。
#1642026年9月、IKEAはヨーロッパで価格を下げるため、約12億ユーロを投じると発表した。
#165生活費や住宅費の負担が重くなり、客は価格に敏感になっていた。IKEA自身も売上高が減少した時期を経験していた。
#166それでも、やることは値札を書き換えるだけじゃなかった。
#167商品を設計し直す。
#168自動化を増やす。
#169エネルギーコストを抑える。
#170どこなら、まだ費用を減らせるかを見る。
#171もちろん、1950年代の小さな通信販売会社と2026年のIKEAは同じじゃない。
#172規模も違う。
#173状況も違う。
#174でも、どこか聞き覚えのある問いが残っている。
#175値段を下げたいなら、値段になる前のどこを変えればいい?
#176イングヴァル・カンプラードはフラットパックを発明しなかった。
#177IKEAも最初ではなかった。
#178家具が大きすぎれば、家具を変えた。
#179スウェーデンで供給が足りなければ、国外へ行った。
#180店が客の多さに追いつかなければ、客自身が商品を取る方法に変えた。
#181そして、その一つ一つをつないでいった。
#182今もIKEAの倉庫には、平たい箱が何段も積まれている。
#183箱の中には、テーブルや椅子や本棚の部品が入っている。
#184でも、完成した家具なら一緒に運ばなければならなかったものが一つだけ入っていない。
#185何もない空間だ。
#1861944年、IKEAが家具を売り始める前から、はスウェーデンでフラットパック家具を売っていた。
#187アイデアだけなら、IKEAより先だった。
#188それでもTrivaは、IKEAのような世界的な仕組みにはならなかった。
#189先に始めた会社はなぜ消え、後から来たIKEAがフラットパックの象徴になったのだろう。