Comptonで見てきた現実を、暴力、罪悪感、人種、名声、責任をめぐる大きな物語へ変えてきたアメリカ人ラッパー
「救世主じゃない」と言ったKendrick Lamarは、なぜヒップホップを代表する存在になったのか
#12025年2月9日。
#2Super Bowl LIXのhalftime showで、Kendrick Lamarは巨大な舞台の中央に立っていた。
#3この日、みんなが気にしていた曲があった。
#4「Not Like Us」。
#5前年、Drakeとの激しいbattleの中で生まれたdiss trackだ。
#6相手を徹底的に攻撃するために作られた曲が、今度はアメリカでもっとも大きな大衆文化の舞台のひとつで鳴ろうとしていた。
#7そしてKendrickは、実際にその曲をやった。
#8このhalftime showの平均視聴者数は、公式集計で約1億3350万人。
#9Kendrickは、rapperとして初めてSuper Bowl halftimeを単独の中心人物としてheadliningするところまで来ていた。
#10ここだけ見れば、きれいな成功物語に見える。
#11Comptonから出てきた少年が、ついにアメリカ最大級の舞台まで登った。
#12でも少し前まで、Kendrickは自分の音楽の中で、まるで逆のことを言っていた。
#13自分は君たちのsaviorじゃない。
#14みんなの答えを背負う人間ではない。
#15誰かを救うための英雄でもない。
#16そう線を引いたはずだった。
#17なのに、そのあとKendrickはもっと大きくなった。
#18Grammyを席巻し、Super Bowlの中央に立ち、Comptonだけでなくhip-hopそのものを代表する人物のように扱われ始めた。
#19なぜ、救世主であることを拒んだ人間が、こんなにも大きな「代表者」になっていったんだろう。
#20その話は、Kendrickが舞台の上にいた時ではなく、舞台を見上げていた時から始まる。
#211990年代半ばのCompton。
#22まだ8歳くらいだったKendrickは、父親のKenny Duckworthと一緒に、ものすごい人だかりに出くわした。
#23Dr. DreとTupac Shakurが「California Love」のミュージックビデオを撮っていた。
#24小さなKendrickには、人の壁でよく見えなかった。
#25そこで父親が、息子を肩の上に乗せた。
#26その高い場所からKendrickはTupacを見た。
#27のちにKendrickが語ったTupacは、ただの有名人ではなかった。
#28子どもも大人もみんなが目を向ける、superheroのような存在だった。
#29だからといって、その一日だけでKendrickが「rapperになる」と決めた、と言い切るのは話をきれいにしすぎる。
#30彼の周りにはすでにhip-hopがあった。
#31学校では文章や物語を書くことが好きだった。
#32言葉を組み替えることにも夢中になった。
#33子どもの頃にあったstutterも、rapをすることで少しずつ越えていった。
#34それでも、あの景色は残った。
#35テレビの中にしかいないと思っていたような存在が、自分の街に立っていた。
#36ただし、その街は夢だけでできていたわけじゃない。
#37Kendrickの両親は、もともとChicagoからCaliforniaへ移ってきた。
#38暴力的な環境から離れようとしての移住だった。
#39ところが、たどり着いたのは1980〜90年代のComptonだった。
#40Kendrickにとって銃声やgang violenceは、ニュースの中だけの話ではなかった。
#41幼い頃から殺された人を見た。
#42親戚や友人が暴力に巻き込まれるのを近くで見た。
#43そして十代のKendrick自身も、その世界から完全に切り離されていたわけではない。
#44危ない友人たちと行動し、あとになって細部を全部語りたがらないような場所まで近づいていた。
#45ただ、彼には戻ってこられる場所がいくつかあった。
#46そのひとつが父親だった。
#47もうひとつがstudioだった。
#48Comptonで十代の息子が朝4時まで帰ってこない。
#49親からすれば、当然心配になる。
#50でもKendrickの母親Paulaには、ひとつだけ例外があった。
#51息子がstudioにいると分かっている時だった。
#52Kendrickは後になって、音楽を作っているなら深夜まで外にいることを母親が許してくれた、と振り返っている。
#53その時点で、Kendrickが本当にstarになる保証なんて何もなかった。
#54本人でさえ、うまくいくと思えない日のほうが多かった。
#55それでもstudioには意味があった。
#56そこにいるなら、少なくとも別の場所にはいない。
#57Kendrickにとってstudioは、最初から成功への入口だったわけじゃない。
#58まず、夜を別の方法でやり過ごせる場所だった。
#59そして、その場所をさらに大きな可能性につなげた友人がいた。
#60Dave Freeだ。
#61高校でKendrickのrapを聞いたDaveは、すぐに普通じゃないと感じた。
#62同年代のrapなのに、rhymeも考え方も詰め込みすぎていて、一度では全部拾えない。
#63何度も巻き戻して聞き直した。
#64でもDaveは「お前、才能あるよ」と言うだけで終わらなかった。
#65彼は入口を探した。
#66当時Daveはcomputer technicianとして働いていた。
#67その仕事を通して、Anthony "Top Dawg" Tiffithのところへ行く機会ができた。
#68Topのcomputerを直しに行ったんだ。
#69Daveは作業をしながらKendrickのmixtapeを流した。
#70結局、computer自体はうまく直せなかった。
#71でも、その日もっと重要なことが起きた。
#72TopがKendrickの音楽を聞いた。
#73そこからKendrickはTopのstudioに出入りするようになる。
#74巨大labelのスカウトが現れて、ひと目で天才を見抜いたわけじゃない。
#75高校時代の友達が、音楽を聞かせる隙を作った。
#76そしてKendrickは、そのあと何年もstudioに通い続けた。
#77生活のためにsecurity guardの仕事をしていた頃には、その制服のままstudioに現れることもあった。
#78当時の名前は、まだK-Dotだった。
#79K-Dotはmixtapeを作り続けた。
#80TDEの周りで腕を磨き、Jay Rockのhype manとして舞台にも立った。
#81Jay Rock、Ab-Soul、ScHoolboy Qのようなrapperたちと一緒に時間を過ごし、競い合い、録音を重ねていった。
#82能力そのものは誰にも分かりやすかった。
#83K-Dotはrapがうまい。
#84問題はその先だった。
#85それで、K-Dotって誰なんだ?
#86Kendrickは、自分が憧れてきた偉大なrapperたちには、技術の奥にその人自身のstoryがあることに気づいていった。
#87そこで、自分にも問い始める。
#88What is a man without a story?
#89Storyを持たない人間とは、何なんだろう。
#90やがて彼はK-Dotという名前を手放した。
#91そして本名を使い始めた。
#92Kendrick Lamar。
#93これは単なるrebrandingじゃなかった。
#94rapがうまいことを証明するところから、自分にしか語れないものを探す方向へ変わっていった。
#95Comptonで見てきたこと。
#96自分がやってしまったこと。
#97自分の友人たち。
#98恐怖。
#99矛盾。
#100そういうものが全部、素材になっていった。
#101そして2012年、そのやり方が「Good Kid, M.A.A.D City」で大きく花開いた。
#102「Good Kid, M.A.A.D City」は、成功したrapperの勝利宣言みたいには始まらない。
#103Kendrickは過去に戻る。
#10417歳頃の自分だ。
#105友達と車で出かける。
#106女の子に会いに行く。
#107酒を飲めと迫られる。
#108仲間の空気に引っ張られる。
#109小さな判断が、報復や銃撃のようなもっと大きな危険につながっていく。
#110もちろんこれは、Kendrickの人生をそのまま録音したdocumentaryじゃない。
#111実際の記憶や人物、事件を材料にして、一つの物語として組み直している。
#112だからこそKendrickは、このalbumを"A Short Film by Kendrick Lamar"と呼んだ。
#113そして、その映画の中には実際の両親の声も入っている。
#114留守番電話のmessageだ。
#115車をいつ返すんだ。
#116どこにいるんだ。
#117早く家に帰ってきなさい。
#118十代のKendrickを現実のComptonから家へ呼び戻していた両親が、albumの中でも同じことをしている。
#119このalbumでKendrickは大成功した。
#120Dr. Dreと仕事をするようになり、世界中をtourするようになった。
#121かつて群衆の中から遠くに見ていた人と、同じstudioで音楽を作るところまで来た。
#122ここまでなら、よくある「脱出の物語」にできる。
#123危険な街で育った少年が、才能と努力でそこから出ていった。
#124でもKendrickにとって、本当に面倒な問題はそこから始まった。
#125どうして自分だけ出られたんだ?
#126Kendrickの生活は大きく変わった。
#127金が入る。
#128世界を移動する。
#129多くの人が新しい曲を待つ。
#130でも、Comptonで生きていた人たちの現実まで一緒に変わったわけじゃない。
#131友人や家族の中には、Kendrickが抜け出したはずの暴力や不安定さの中に残っている人もいた。
#132Kendrickは成功後、depressionやsurvivor's guiltを抱えたことを語っている。
#133生き残れた安心よりも、なぜ自分だけが生き残れたのかが重くなった。
#134その感情は2015年の「To Pimp a Butterfly」でむき出しになる。
#135「u」では、Kendrickは成功した自分を祝福するどころか、激しく責め続ける。
#136大勢の人には希望を語っているのに、自分の近くにいた人が必要としている時にはそばにいなかった。
#137そんな自分に何の価値があるんだ。
#138「Good Kid, M.A.A.D City」が成功したことで、Kendrickの問題は解決したんじゃない。
#139むしろ大きくなった。
#140若い頃の問題は、Comptonで生き残れるかどうかだった。
#141成功後の問題は、自分だけがそこから出たことをどう受け止めるかになった。
#142それに合わせて、音楽の範囲も広がっていった。
#143「To Pimp a Butterfly」には、人種、歴史、金、音楽産業、自己愛、自己嫌悪、アメリカ社会まで入ってくる。
#144南アフリカを訪れた経験も、その視野を広げた一部だった。
#145ただし、それひとつがalbumを生んだわけではない。
#146Kendrickが向き合っていた問いそのものが、もうComptonだけには収まらなくなっていた。
#147自分の街を語って成功したartistは、その街に何を返すべきなのか。
#148自分を見ている人たちに、どこまで責任を負うべきなのか。
#149そして、人々がartistに答えを求め始めた時、そのartistはどこまでそれを背負えるのか。
#150Kendrickはalbumの最後で、その問いをある人物に向けた。
#151Tupacだった。
#152「To Pimp a Butterfly」の最後の曲、「Mortal Man」。
#153曲の後半で、KendrickとTupacが会話を始める。
#154もちろん本物の対談じゃない。
#155Tupacは1996年に亡くなっている。
#156Kendrickは、昔のTupacのinterview音声を使い、自分の質問と組み合わせた。
#157聞いていると、まるで2015年のKendrickがTupacと向かい合って話しているように聞こえる。
#158奇妙な場面だ。
#159かつて父親の肩の上からTupacを見上げていた少年が、今は自分のalbumの中でその本人に問いかけている。
#160Black artistの責任。
#161抑圧。
#162怒り。
#163金。
#164社会。
#165Kendrickはさらに、自分の書いた詩を読み、最後にもうひとつ質問する。
#166でも返事はない。
#167Tupacの声はそこで消えている。
#168Kendrickは、かつてのheroと同じ世界まで登ってきた。
#169けれど、heroのところまで行けば自分の問題の答えが全部もらえるわけではなかった。
#170その後もKendrickの立場は大きくなり続けた。
#1712018年、「DAMN.」でPulitzer Prize for Musicを受賞する。
#172classicalやjazz以外の作品がこの音楽部門を受賞したのは初めてだった。
#173これは「Kendrickがhip-hopを初めて芸術にした」という意味ではない。
#174hip-hopにはそのはるか前から巨大な芸術の歴史があった。
#175Kendrickが越えたのは、Pulitzerという特定の制度的な境界だった。
#176かつて「自分にはstoryがない」と悩んでいたK-Dotが、そのstorytellingでアメリカ最高峰の文化賞のひとつを取った。
#177普通なら、これこそ最終到達点になりそうだ。
#178でもKendrickの場合、評価が高くなるほど別の負担が増えていった。
#179人々が彼に、もっと多くの意味を求めるようになった。
#1802022年。
#181Kendrickはもう、Comptonの話をする人気rapperというだけの存在ではなかった。
#182Pulitzer winner。
#183人種やアメリカ社会について語るartist。
#184大学や文化論の中で作品を読み解かれる人物。
#185Kendrickのalbumから、社会への「答え」を探す人も増えていった。
#186そこで彼が出した「Mr. Morale & the Big Steppers」は、その期待を壊すような作品だった。
#187今回は社会を上から分析するのではなく、自分自身の中に潜っていく。
#188family trauma。
#189therapy。
#190infidelity。
#191自分が人を傷つけたこと。
#192傷を抱えた人間が、別の人を傷つけてしまうこと。
#193そしてKendrickは、繰り返し線を引く。
#194I am not your savior.
#195自分はみんなを救う人間ではない。
#196かつてKendrickは、自分のcommunityをどう語るかを学んだ。
#197成功すると、そのcommunityに対する責任を考え始めた。
#198そして今度は、その責任が「お前がみんなを救え」という期待に変わっていくこと自体を拒んだ。
#199それなのに、その直後からKendrickの周りには、それまで以上に巨大な「us」ができていく。
#2002024年のbattleだけを見れば、KendrickとDrakeは昔から憎み合っていたように見える。
#201実際はそうじゃない。
#202KendrickはDrakeの「Take Care」に参加していた。
#203DrakeのClub Paradise Tourにも出た。
#204「Good Kid, M.A.A.D City」には、Drakeを迎えた「Poetic Justice」もある。
#205同じ時代に大きくなっていったrapper同士だった。
#206ただ、Kendrickは昔から強烈にcompetitiveだった。
#2072013年、Big Seanの「Control」に参加したverseでは、DrakeやJ. Coleを含む同世代のrapperたちを次々に名指しした。
#208尊敬している。
#209でも、それでも全員に勝ちたい。
#210そんな姿勢だった。
#211そして2024年、その競争心は、ずっと個人的な領域まで進んだ。
#212KendrickとDrakeは立て続けにdiss trackを出した。
#213家族や私生活まで攻撃材料になった。
#214双方が相手について主張した深刻な内容の中には、独立して確認されていないものもある。
#215だから、それらを事実として扱うことはできない。
#216ただ、音楽として何が起きたかははっきりしている。
#217Kendrickが「Not Like Us」を出した。
#218そしてbattleが、rap battleの中だけでは収まらなくなった。
#219「Not Like Us」が異様だったのは、攻撃性と楽しさが同時に存在していたことだ。
#220Kendrickのwritingは鋭くて、完全に相手を狙っている。
#221でもその下にあるのはMustardのbeatだった。
#2222010年代のLos Angeles rapを代表するproducerのひとりだ。
#223音がすぐにLAだと分かる。
#224しかも踊れる。
#225hookも覚えやすい。
#226群衆がすぐ一緒に叫べる。
#227そして何より、titleそのものが簡単だった。
#228Not Like Us.
#229あいつは「俺たち」とは違う。
#230最初は、誰かを外に押し出す言葉だった。
#231でも何百万人もの人が一緒にその言葉を叫び始めると、別の問いが生まれる。
#232じゃあ、そのusって誰なんだ?
#233Kendrickは数週間後、Los Angelesでひとつの答えを見せた。
#2342024年6月19日、Juneteenth。
#235KendrickはInglewoodのKia Forumで「The Pop Out: Ken & Friends」を開いた。
#236Dr. Dreがstageに出てきた。
#237KendrickはDreと並んで「Still D.R.E.」をやった。
#238そして「California Love」を歌った。
#23930年近く前。
#240幼いKendrickは父親の肩の上から、Dr. DreとTupacがその曲のvideoを撮っているのを見ていた。
#241今度は自分がDreの横に立って、その曲を歌っている。
#242それだけでも十分すぎるほど映画みたいな場面だった。
#243でもKendrickは、その夜を自分の出世物語だけにはしなかった。
#244「Not Like Us」を何度もやった。
#245観客も一緒に叫んだ。
#246そして最後には、Los Angelesのさまざまなartistや、異なるneighborhood、異なるstreet affiliationにつながる人たちがstageに集まった。
#247Kendrickはその光景を見ながら、Crips、Bloods、Pirusを越えたunityについて語った。
#248もちろん、それでLos Angeles中のgangが和解したわけじゃない。
#249そこまで言えば誇張になる。
#250でも、少なくともその夜、異なる側にいる人たちが同じstageに立ち、Kendrick自身がそのことに意味を見ていたのは確かだった。
#251彼は、Los Angelesが失った人たちにも触れた。
#252Nipsey Hussle。
#253Kobe Bryant。
#254音楽やstreetの中で失った友人たち。
#255そして、この瞬間は自分ひとりより大きなものだという意味のことを話した。
#256Drakeを外へ押し出すために作った歌が鳴っている。
#257なのにKendrickが見ていたのは、自分の街の中にいる人たちだった。
#258「Not Like Us」は、「あいつは俺たちじゃない」という言葉から始まった。
#259でもその夜は同時に、「じゃあ俺たちは誰なのか」を見せる歌にもなっていた。
#260「Not Like Us」の勢いは、その夜で終わらなかった。
#2612025年のGrammy Awardsでは、nominateされた5部門すべてで受賞した。
#262Best Rap Song。
#263Best Rap Performance。
#264Best Music Video。
#265そしてSong of the YearとRecord of the Yearまで取った。
#266Record of the Yearを受け取ったKendrickは、Comptonだけを口にしなかった。
#267Watts。
#268Long Beach。
#269Inglewood。
#270自分が知っているLos Angelesの土地を次々に呼んだ。
#271その一週間後がSuper Bowlだった。
#272ここで最初の場面に戻る。
#273Kendrickは、アメリカ最大級のstageの中央にいた。
#274Samuel L. JacksonがUncle Samとして登場し、SZAも参加した。
#275Mustardも出た。
#276そしてKendrickは「Not Like Us」を歌った。
#277平均約1億3350万人が見ていた。
#2788歳のKendrickは、人混みのせいでstarが見えなかった。
#279父親に肩の上へ乗せてもらって、ようやくTupacとDr. Dreが見えた。
#280今は1億人以上がKendrickを見ている。
#281でも、そこもまだ終わりじゃなかった。
#282Super Bowlまで来れば、Kendrick Lamarのcareerは自分自身の巨大な記念碑になっていてもおかしくなかった。
#283でもその頃の彼を見ると、別の動きが見える。
#284自分だけを大きく見せるのではなく、自分の周りにいる人たちもframeの中に入れている。
#2852024年のalbum「GNX」には、世界的にはまだ名前が広く知られていなかったLos Angelesのrapperたちが何人も参加した。
#286昔のKendrickにとっては、自分の音楽がDr. Dreのような大物に届くこと自体が人生を変える出来事だった。
#287今度はKendrick自身が、ほかのartistへそのattentionを向けられる側になった。
#288SZAとはGrand National Tourで世界中のstadiumを回った。
#289ふたりは、突然組まれたsuperstar同士じゃない。
#290まだTDEが今ほど大きくなかった頃から、それぞれ同じ場所で成長してきた関係だった。
#291そして、Kendrickの物語でもっとも古い仲間のひとりも、まだ隣にいる。
#292Dave Free。
#293高校生のKendrickのrhymeを何度も聞き返した友人。
#294computerを直す名目でTop Dawgの家へ入り、Kendrickのmixtapeを流した人。
#295「HiiiPoWeR」のvideoがうまくいかなければ、自分の曲でもないのに編集を学んだ人。
#296何十年もたった今、KendrickとDaveはpgLangを一緒に動かしている。
#2972026年のGrammyでは、「GNX」がBest Rap Albumを受賞した。
#298KendrickとSZAの「luther」はRecord of the Yearを取った。
#299KendrickのGrammy受賞数は通算27回になり、rapperとして最多の記録に到達した。
#300かつてTupacを見上げていた少年は、今では若いartistたちから見上げられる位置まで来た。
#301Tupacは、幼いKendrickにはsuperheroに見えた。
#302そしてKendrick自身も、そのくらい巨大な存在になった。
#303ただ、その途中で彼は、heroであることの危うさも知った。
#304自分のstoryを見つけるだけでは終わらなかった。
#305Comptonを代表するだけでも終わらなかった。
#306成功すれば、残してきた人への罪悪感が生まれた。
#307人々の声になれば、今度は答えまで求められた。
#308ついには、自分は君たちのsaviorじゃないと言わなければならなくなった。
#309それなのに、その後のほうがもっと大きな代表者になった。
#310だからKendrick Lamarの変化でいちばん面白いのは、
#311heroを見上げていた少年が、heroになったこと
#312だけではないのかもしれない。
#3138歳のKendrickがあの日frameの中へ入る方法は、ひとつしかなかった。
#314父親に肩へ乗せてもらうこと。
#315その先にはTupacとDr. Dreがいた。
#316何十年もたって、自分自身がそのframeの真ん中へ入った時、Kendrickの周りには別の人たちも一緒に入っていた。
#317Dave Free。
#318SZA。
#319Mustard。
#320昔からのTDEの仲間たち。
#321新しいLos Angelesのrapperたち。
#322The Pop Outの最後に並んだLos Angelesの人たち。
#323Kendrickは、一人の人間がcommunity全体を救うことなんてできないと学んできた。
#324だから最大のstageへたどり着いた時、そこで一人だけの救世主になろうとはしなかった。
#325代わりに、自分のframeを広げていった。
#326KendrickがTDEのstudioに通い始めたあと、父親のKennyはを見て、ずっと昔に会ったことのある人物だと気づいた。Kendrickは、自分のcareerが始まるより前から父親と未来のlabel founderの間に奇妙な過去があったことを後になって知り、そのつながりを「DUCKWORTH.」という曲にした。二人の間には、いったい何があったんだろう。