少年時代の夢を次々と現実にしながら、どれだけ自分が輝いても結果までは選べないことを知ったサッカー選手
ワールドカップ決勝で3ゴールしても、なぜムバッペは負けたのか?
#12022年12月18日、カタールのルサイル・スタジアム。
#2フランスはワールドカップ決勝でアルゼンチンに0-2とリードされていた。
#3時間はもう80分に近い。
#4リオネル・メッシがPKを決め、アンヘル・ディ・マリアが追加点を奪った。フランスは流れを変えられず、ディディエ・デシャン監督は前半のうちに攻撃陣を入れ替えるほどだった。
#5そのとき、フランスにPKが与えられた。
#6キリアン・ムバッペが蹴る。
#7決めた。
#82-1。
#9それから約95秒後。
#10ムバッペはマルクス・テュラムとの連係からボールを受けると、落ちてくる前に右足を振り抜いた。
#112-2。
#12さっきまで終わりかけていた試合が、一気に別の試合になった。
#13延長戦ではメッシが再びアルゼンチンをリードさせる。
#14そしてムバッペに、またPKが与えられた。
#15また決める。
#163-3。
#17ワールドカップ決勝でハットトリック。
#18男子ワールドカップ決勝でこれを達成したのは、1966年のジェフ・ハースト以来だった。
#19それでも決着はつかない。
#20PK戦になった。
#21フランスの最初のキッカーとして、ムバッペが出ていく。
#22また決めた。
#23その夜、エミリアーノ・マルティネスを相手に蹴った3本のPKを、ムバッペはすべて成功させた。
#24それでもフランスは負けた。
#25アルゼンチンがワールドカップを掲げる。
#26ムバッペは大会8ゴールで得点王になった。
#27けれど、優勝メダルを手にすることはできなかった。
#28一人の選手が、ワールドカップ決勝でできることをほとんど全部やった。
#29それでも、結果を手にできないことがある。
#30この夜を理解するには、まずムバッペがまだ「次にどこへ行くか」を自分と家族で選べた頃まで戻る必要がある。
#31キリアン・ムバッペが育ったのは、パリ北東部のボンディだった。
#32父ウィルフリードはASボンディで少年たちを指導するサッカーコーチ。
#33母ファイザ・ラマリは高いレベルでハンドボールをプレーしていた。
#34兄のジレス・ケンボ・エココも、後にプロサッカー選手になった。
#35スポーツは、ムバッペ家にとって特別な世界ではなかった。
#36キリアンは幼いころから父親についてグラウンドへ行き、家の中でもボールを蹴った。
#37親しいコーチのアントニオ・リカルディが面倒を見るときには、家具の間がピッチになった。
#38ソファやテーブルがゴールになる。
#39そして、少年の部屋にはクリスティアーノ・ロナウドの写真があった。
#40ロナウドは憧れだった。
#41レアル・マドリードも、もちろん好きだった。
#42その夢は、思っていたよりずっと早く近づいてきた。
#4311歳から12歳ごろになると、ムバッペはすでにヨーロッパの大きなクラブから注目されていた。
#44チェルシーから招待を受け、レアル・マドリードにも行った。
#45そこでジネディーヌ・ジダンと出会った。
#46少年が壁に貼っていたクラブを、実際に目の前で見る。
#47普通なら、それだけで人生が決まったように感じてもおかしくない。
#48でも、ムバッペの家族は彼をそのままマドリードに残さなかった。
#49ボンディへ戻った。
#50こうした訪問は、単なる移籍のチャンスではなかった。
#51本当にこの子は、ヨーロッパのトップレベルにいる同年代の選手たちと並んでも特別なのか。
#52それを確かめる場でもあった。
#53答えは、もちろん前向きだった。
#54それでも家族は急がなかった。
#55ムバッペはフランスのエリート育成機関、クレールフォンテーヌで成長を続けた。
#56周囲の才能ある少年たちが次々とプロクラブへ進んでいく中でも、家族はその過程を急いで終わらせようとはしなかった。
#57ここには、後のムバッペのキャリアを理解するための大事な特徴がある。
#58レアル・マドリードが夢であることと、今すぐレアル・マドリードへ行くことは、同じではなかった。
#59プロクラブの育成組織を選ぶ時期になると、ムバッペには複数の選択肢があった。
#60レアル・マドリードだけが候補だったわけではない。
#61フランス国内外のクラブが彼を追っていた。
#62その中で家族が選んだのがモナコだった。
#63海外の巨大クラブへすぐに移るのではなく、フランス国内で成長できる。
#64若い選手を育て、トップチームへ送り出してきた実績もある。
#65大きな夢を持ちながら、その一歩手前の段階を選ぶ。
#66合理的な選択に見えた。
#67ところが、モナコに入ってすぐ、ムバッペは思い通りにならない現実に出会った。
#68後に本人が「壁」と表現するような時期だった。
#69当時、彼を指導したブルーノ・イルレスは、攻撃での才能だけを見て彼を自由にしたわけではない。
#70守備にも戻る。
#71ボールを持っていないときも動く。
#72チームのために働く。
#73ムバッペは、そこに強くぶつかった。
#74彼はすでに、どこへ行っても特別な選手だった。
#75それなのに、特別だからこそ許されるわけではないことがある。
#76イルレスを「才能を見抜けなかった監督」として描くのは正確ではない。
#77むしろ彼は、別の問いをムバッペに突きつけた。
#78ボールを持ったときに特別なら、それだけで十分なのか。
#79この時期、父ウィルフリードは仕事を1年間休み、息子のそばにいた。
#80世界最高のクラブから声がかかった少年が、初めて「まだ足りない」と言われている。
#81その時間を、家族は一緒に過ごした。
#82ムバッペは年齢を飛び越えて上のカテゴリーでプレーするようになった。
#83そして2015年12月、16歳でモナコのトップチームにデビューした。
#84それまでクラブの最年少出場記録を持っていたのは、かつてのティエリ・アンリだった。
#85その記録を、ムバッペが塗り替えた。
#86そこから先は、成長という言葉では足りないほど速かった。
#872016年12月にはプロ初のハットトリック。
#882017年2月にはリーグ戦で初のハットトリック。
#89そしてチャンピオンズリーグでマンチェスター・シティと対戦する。
#90先発したムバッペはゴールを決めた。
#91モナコは3-5で敗れた。
#92しかし、ホームでの第2戦では開始8分でムバッペが得点。
#93モナコが3-1で勝って逆転突破した。
#94続くドルトムント戦でも、ムバッペはゴールを重ねた。
#95ヨーロッパはもう、彼の名前を知らないでは済まなくなっていた。
#96もちろん、これはムバッペ一人の物語ではない。
#97当時のモナコにはベルナルド・シウバ、ラダメル・ファルカオ、ファビーニョ、トマ・レマルらがいた。
#98レオナルド・ジャルディム監督のチームは攻撃的で、選手たちは互いにスペースを作り合った。
#99その中でムバッペのスピードが最大限に生きた。
#1002017年、モナコはパリ・サンジェルマンを抑えてリーグ優勝。
#101ムバッペはフランス代表にもデビューした。
#102まだ18歳だった。
#103そしてまた、次の選択がやってきた。
#1042017年夏、再び大きなクラブが動いた。
#105レアル・マドリードも彼を欲しがった。
#106アーセナルのアーセン・ヴェンゲルも、ムバッペと家族に会った。
#107でもムバッペが選んだのは、パリ・サンジェルマンだった。
#108このとき、彼が必要としていたものは、子どもの頃とは少し違っていた。
#109ただ成長できる場所では足りない。
#110成長しながら、勝てる場所。
#111PSGならフランスのトップクラブとして毎年タイトルを狙える。
#112そして、チャンピオンズリーグを目指せる。
#113レアル・マドリードは、また待つことになった。
#114夢そのものが消えたわけではない。
#115ただ、まだその時ではなかった。
#116ところが、PSGへ移って間もなく、ムバッペはほとんどの選手が一生かけて追いかけるものを手にしてしまう。
#1172018年ロシア・ワールドカップ。
#118ムバッペにとって初めてのワールドカップだった。
#119ペルー戦で初ゴール。
#120そして決勝トーナメント1回戦でアルゼンチンと対戦した。
#121ムバッペは自陣近くでボールを受けると、一気に加速した。
#122止められない。
#123マルコス・ロホがペナルティエリア内で彼を倒し、フランスがPKを得た。
#124後半にはムバッペ自身が2ゴール。
#125フランスが4-3で勝った。
#126ワールドカップの決勝トーナメントで2ゴールを決めた20歳未満の選手は、ペレ以来だった。
#127ただし、フランスはムバッペ一人のチームではない。
#128アントワーヌ・グリーズマン、ポール・ポグバ、エンゴロ・カンテ、ラファエル・ヴァラン、ウーゴ・ロリス。
#129オリヴィエ・ジルーやブレーズ・マテュイディも、それぞれの役割を担った。
#130デシャンは、ムバッペのスピードを生かしながら、彼一人にすべてを背負わせないチームを作っていた。
#131フランスは決勝へ進んだ。
#132相手はクロアチア。
#1333-1とリードして迎えた後半、ムバッペがペナルティエリアの外からシュートを放つ。
#134ゴール。
#13519歳のワールドカップ決勝ゴール。
#136フランスは4-2で勝った。
#137ムバッペは世界チャンピオンになった。
#138大会の最優秀若手選手にも選ばれた。
#139ボンディでフランス代表としてワールドカップに出ることを夢見ていた少年は、初めて出場した大会で優勝してしまった。
#14019歳で。
#141普通なら、そこが人生最大の目標になっても不思議ではない。
#142でも、もう一つ問題がある。
#143その目標を、あまりにも早く達成してしまった。
#144PSGで残された大きな目標は、チャンピオンズリーグだった。
#1452020年、PSGはクラブ史上初めて決勝へ進んだ。
#146相手はバイエルン・ミュンヘン。
#147ムバッペには得点のチャンスがあった。
#148しかし、マヌエル・ノイアーが止めた。
#149PSGは0-1で敗れた。
#150翌年、ムバッペは別の顔を見せた。
#151バルセロナのカンプ・ノウでハットトリック。
#152PSGが4-1で勝った。
#153世界最高レベルの試合でも、一人で流れを変えられる選手になっていた。
#154ところが、同じ2021年の夏。
#155フランス代表ではまったく違う夜が待っていた。
#156EUROのスイス戦。
#157フランスは3-1とリードしていた。
#158それを追いつかれ、3-3。
#159PK戦になった。
#160一人ずつ成功していく。
#161そしてフランスの5人目。
#162ムバッペ。
#163決めなければならない。
#164蹴った。
#165ヤン・ゾマーが止めた。
#166フランス敗退。
#167この敗戦は、とても分かりやすい痛みだった。
#168最後のキックを自分が外した。
#169ムバッペはチームを助けたかったが、できなかったと振り返った。
#17018か月後、彼はまたPK戦の舞台に立つ。
#171今度は、一本も外さなかった。
#1722022年になると、ムバッペのレアル・マドリード移籍は、ほとんど決まったように見えた。
#173PSGとの契約が終わりに近づいていた。
#174マドリードは長い間、彼を追い続けていた。
#175ムバッペ自身も、後に2021年にはPSGを離れたいと思っていたと話している。
#176子どもの頃から好きだったクラブ。
#177何度も近づいてきた場所。
#178今度こそ行く。
#179そう思われても不思議ではなかった。
#180ところが2022年5月21日。
#181ムバッペはパリのピッチに立っていた。
#182手にはPSGのユニフォーム。
#183背番号の上には「2025」。
#184残留だった。
#185彼はフランスに残ること、PSGのプロジェクト、自分自身の判断などを理由として説明した。
#186当時フランス大統領だったエマニュエル・マクロンも、残留を勧めるためにムバッペと話をした。
#187ただし、「大統領に説得されたから残った」と説明するのは単純すぎる。
#188実際には、もっと複雑な選択だった。
#18912歳のときもレアル・マドリードへ行かなかった。
#19018歳のときも行かなかった。
#191そして23歳になっても、まだ行かなかった。
#192夢よりも、今の自分が選ぶべきだと思った道を優先した。
#193半年後。
#194カタールで、別の種類の現実が待っていた。
#1952022年ワールドカップ決勝。
#196もう一度、あの夜に戻る。
#197アルゼンチンが2-0とリード。
#198フランスは攻撃を作れない。
#199それでも終盤、コロ・ムアニがPKを獲得した。
#200ムバッペがボールを置く。
#201EUROで最後のPKを外した選手だった。
#202今度は決める。
#2032-1。
#204その約95秒後、ボレー。
#2052-2。
#206延長戦。
#207メッシが3-2にする。
#208そしてまたPK。
#209ムバッペ。
#210決める。
#2113-3。
#212試合終了直前、フランスには決定的なチャンスがあった。
#213コロ・ムアニがGKと1対1になる。
#214これが入れば、フランスが勝っていたかもしれない。
#215しかしマルティネスが足で止めた。
#216PK戦。
#217ムバッペが最初に出る。
#218また決める。
#219この夜、彼はマルティネスから受けた3本のPKをすべて成功させた。
#220それでもフランスは負けた。
#221コマンのキックが止められ、チュアメニのキックが外れた。
#222アルゼンチンが優勝。
#2232018年。
#224決勝で1ゴールを決めて、ワールドカップ優勝。
#2252022年。
#226決勝で3ゴールを決めて、準優勝。
#227EUROでは最後のPKを外して敗退した。
#228カタールでは、自分のPKを全部決めても敗退した。
#229個人としては、むしろ強くなっていた。
#230でも、サッカーの結果まで自分で決められるようになったわけではなかった。
#2312022年にPSGが発表した契約には「2025」という数字があった。
#232ただし、契約の構造は単純ではなかった。
#2332024年までは保証され、もう1年延長するかどうかはムバッペ側が選べる形だった。
#2342023年6月、ムバッペはPSGにその延長オプションを行使しないと伝えた。
#235つまり、2023-24シーズンを終えれば契約が終了し、移籍金なしでクラブを離れることができる。
#236PSGにとっては大きな問題だった。
#237クラブ史上最多得点者を、移籍金なしで失う可能性がある。
#238クラブは契約延長を求めた。
#239ムバッペは、すでに結んだ契約を最後まで履行するつもりだった。
#240対立は公になった。
#241PSGはムバッペをプレシーズンのアジアツアーから外した。
#242しばらくトップチームから離れて練習することにもなった。
#243そこへサウジアラビアのアル・ヒラルが非常に大きなオファーを出してきた。
#244しかしムバッペは、その移籍交渉を進めなかった。
#245やがてPSGとムバッペは再び話し合い、彼はトップチームへ戻った。
#246そして、ここでも不思議なことが起きる。
#247クラブとの関係が最も複雑になったシーズンに、ムバッペはPSGで自己最多のゴールを決めた。
#2482023-24シーズン。
#249ムバッペはすべての大会で44ゴールを決めた。
#250PSGで過ごした1シーズンとしては自己最多。
#251リーグではまた得点王。
#252チャンピオンズリーグではバルセロナを破って準決勝へ進んだ。
#253そこで待っていたのがドルトムントだった。
#2547年前、モナコの若いムバッペがゴールを重ねた相手。
#255今度は、ゴールが遠かった。
#256アウェーの第1戦ではムバッペのシュートがポストに当たった。
#257パリでの第2戦でもPSGは何度もゴールポストを叩いた。
#258それでも入らない。
#259ドルトムントが決勝へ進んだ。
#260ムバッペのPSGでの最後のチャンピオンズリーグ戦は、トロフィーのないまま終わった。
#2617シーズン。
#262256ゴール。
#263PSG史上最多得点者。
#264フランス国内では数多くのタイトルを手にした。
#265それでも、最も欲しかったチャンピオンズリーグの優勝だけはなかった。
#2662024年5月、ムバッペはPSGを離れることを自ら発表した。
#267これは、失敗して追い出された選手の別れではない。
#268かといって、すべてをやり終えた選手の別れでもない。
#269大きな成功の中に、一つだけ埋まらない空白があった。
#270そして翌シーズン。
#271PSGは初めてチャンピオンズリーグを制した。
#272ムバッペが去った次の年だった。
#273だからといって、「ムバッペがいなくなったからPSGが優勝できた」とは言えない。
#274そんな因果関係を示すものはない。
#275ただ、彼が7年間追い続けたトロフィーが、彼の退団から1年後にパリへやってきた。
#276これもまた、自分では選べない結果だった。
#2772024年6月3日。
#278レアル・マドリードがキリアン・ムバッペの加入を正式に発表した。
#279PSGとの契約を終えての移籍だったため、移籍金は発生しなかった。
#280そして7月16日。
#281サンティアゴ・ベルナベウがムバッペの入団セレモニーで埋まった。
#282フロレンティーノ・ペレス。
#283そしてジネディーヌ・ジダン。
#284少年時代、マドリードを訪れたムバッペと出会った人物が、今度は彼の入団を見届けていた。
#285ムバッペは、その日ひとつの小さなものも持ってきた。
#286サンティアゴ・ベルナベウの模型。
#2878歳のころ、家族からもらったものだった。
#288少年時代に壁に貼っていたロナウドの写真。
#289憧れていたレアル・マドリード。
#290いつかそのユニフォームを着るという夢。
#291全部が、一つの場所につながった。
#292ただし、そこへ来るまでには十数年かかった。
#293ムバッペは入団後、子どもの頃にはレアル・マドリードが「夢」だったと話した。
#294プロになってから、それは「目標」になった。
#295夢と目標の間には、モナコがあり、PSGがあり、ワールドカップがあり、敗戦があり、そして2022年にもう一度パリに残るという選択があった。
#296ようやく25歳で、その場所に立った。
#297レアル・マドリードでの公式戦デビューはUEFAスーパーカップ。
#298ムバッペはゴールを決め、マドリードは優勝した。
#299始まりは完璧だった。
#300もちろん最初から何もかも簡単だったわけではない。
#301新しいクラブ。
#302新しいリーグ。
#303新しい国。
#304新しい期待。
#305それでも、シーズンが進むにつれてゴールは増えていった。
#306ラ・リーガで31ゴール。
#307得点王。
#308ヨーロッパ・ゴールデンシュー。
#309すべての大会で44ゴール。
#310レアル・マドリード史上、加入1年目にこれほど多くのゴールを決めた選手はいなかった。
#311クリスティアーノ・ロナウドの最初のシーズンよりも多かった。
#3122年目も止まらない。
#313またリーグ得点王。
#314チャンピオンズリーグでは15ゴールで得点王。
#315そして2025年の1年間、レアル・マドリードで59ゴール。
#316これは2013年にロナウドが記録した、クラブの年間最多得点記録と並ぶ数字だった。
#317子どもの部屋の壁に貼られていた男が、今度は記録表のすぐ上にいる。
#318もちろん、それだけでムバッペとロナウドのレアル・マドリードでのキャリアが同じになったわけではない。
#319ロナウドには何年もの時間があり、数々のタイトルがあり、ヨーロッパの大舞台で残した膨大な記憶がある。
#320ムバッペはまだ、その比較が始まったばかりだ。
#321だからこそ不思議だった。
#322少年時代に思い描いた「レアル・マドリードへ行く」という目標は達成した。
#323でも、そこへ着いた瞬間に、もっと大きな基準が現れた。
#3242026年。
#325ムバッペにとって3度目のワールドカップ。
#326もう19歳の新星ではない。
#327フランス代表のキャプテンだった。
#328そして8試合で10ゴール。
#3292022年に続いて、またゴールデンブーツを獲得した。
#3302018年、2022年、2026年。
#3313大会を合わせたワールドカップ通算得点は22。
#332男子ワールドカップ史上、誰よりも多いゴール数になった。
#333フランス代表でも歴代最多得点者になった。
#334ボンディで、フランス代表としてワールドカップに出ることを夢見ていた少年。
#335その少年は今、ワールドカップ史上最多得点者になっている。
#336しかも、まだ27歳だった。
#337ところが、フランスは2026年も優勝できなかった。
#3382018年。
#3394ゴールで世界王者。
#3402022年。
#3418ゴールで準優勝。
#3422026年。
#34310ゴールで決勝進出を逃した。
#344数字は増えている。
#345でも、チームの結果は同じ速度ではついてこない。
#346ゴールが増えれば、必ず優勝できる。
#347そんな方程式は、ムバッペのキャリアには一度も存在しなかった。
#348ボンディには、クリスティアーノ・ロナウドの写真を壁に貼っていた少年がいた。
#349レアル・マドリードを夢見ていた。
#350本当にそのクラブへ行った。
#351それどころか、ロナウドが残したレアル・マドリードの年間59ゴールという記録に並んだ。
#352フランス代表の最多得点者になった。
#353ワールドカップ史上最多得点者にもなった。
#354子どもの頃に想像していた以上の場所まで来たと言っても、おかしくない。
#355でも、ムバッペのキャリアを振り返ると、別のことが何度も起きている。
#356若い頃は、次の環境を選べた。
#357フランスに残る。
#358モナコを選ぶ。
#359パリへ行く。
#3602022年には、パリに残る。
#361そして2024年、ついにマドリードへ行く。
#362ピッチの上でも、できることは増えていった。
#363速く走れる。
#364多くのゴールを決められる。
#365重要な試合で勝負を決められる。
#366PKも決められる。
#367ワールドカップの記録まで塗り替えられる。
#368それでも、自分では選べないものがあった。
#369コロ・ムアニのシュートがマルティネスを越えるかどうか。
#370チームメートがPKを決めるかどうか。
#371自分がPSGを去ったあと、古巣がヨーロッパ王者になるかどうか。
#372ワールドカップで10ゴールを決めたチームが、もう一度世界王者になるかどうか。
#373子どもの頃の問いは、もっとシンプルだった。
#374クリスティアーノ・ロナウドに憧れていた少年は、いつか本当にレアル・マドリードの選手になれるのか。
#375その問いには、もう答えが出ている。
#376なった。
#377だから今は、別の問いが残っている。
#378レアル・マドリードで、どんな歴史を残すのか。
#379この問いだけは、まだ終わっていない。
#380そしておそらく、これまでのどの問いよりも難しい。
#381なぜなら今度は、キリアン・ムバッペ一人では答えを決められないからだ。
#382 — 少年時代からムバッペが憧れた存在。レアル・マドリードでの記録が、後にムバッペ自身の目標になっていく。
#383 — 少年時代にレアル・マドリードを訪れたムバッペと接点を持ち、2024年のレアル・マドリード入団時にも再び登場する人物。
#384 — ムバッペが育ったボンディのサッカークラブ。父ウィルフリードが少年たちを指導していた場所でもある。
#385 — ムバッペがフランス国内でプロへの階段を上ったクラブ。16歳でトップチームにデビューし、2017年にリーグ優勝を経験した。
#386 — 2017年から2024年までムバッペが所属したクラブ。256ゴールを記録してクラブ歴代最多得点者となった一方、在籍中にはチャンピオンズリーグ優勝を果たせなかった。
#387 — 少年時代からの夢であり、2024年に25歳でついに加入したクラブ。加入後、ロナウドと比較されるほどの得点記録を築き始めている。
#388 — ムバッペが19歳で優勝し、2022年には決勝でハットトリック、2026年には大会通算最多得点者となった舞台。
#389 — 2018年と2022年のワールドカップでムバッペの物語と交差した世界的スター。2022年決勝では両者が3ゴールずつを記録した。
#390 — フランス代表監督として2018年の優勝、2022年の準優勝、そしてムバッペの代表チームでの成長を指揮した人物。
#391 — ムバッペが若手選手として成長し、2016-17シーズンにヨーロッパで一気に注目を集めたチーム。