シュートレンジとオフェンスの常識を変えたゴールデンステート・ウォリアーズのガード
小さすぎると言われたガードは、どうやってNBAの「撃っていい距離」まで変えたのか
#1今のステフィン・カリーを見ていると、あのシュートフォームは最初から完成していたように思える。
#2でも、高校時代のある夏、父のデル・カリーは息子のジャンプシュートを見て、このままでは次のレベルで通用しないと判断した。
#3ステフィンはまだ細く、身体も強くなかった。ボールを低い位置から持ち上げるようにして撃っていたから、大学で大きくて速い相手に囲まれれば、リリースまでに潰される可能性があった。
#4そこでデルは、シュートを一度壊した。
#5しばらくの間、ステフィンはペイントの外からほとんど撃たせてもらえなかった。ボールをどこで構えるか。どう持ち上げるか。どこで放すか。身体の使い方を、近い距離から一つずつ作り直した。
#6ステフィンにとっては苦しい時間だった。途中でやめたくなるほどだったという。
#7この話だけを聞くと、よくあるアンダードッグ物語とは少し違う。
#8ステフィンの父親はNBAで16シーズンを戦った選手だった。子どものころからプロの練習を見ることができたし、トップレベルのシューターから直接教えてもらえる環境にいた。
#9恵まれていたのは間違いない。
#10ただ、その環境は「お前ならそのままで大丈夫だ」と言ってくれる場所ではなかった。
#11むしろ逆だった。
#12この先に進みたいなら、慣れたものをいったん捨てて作り直せ。
#13そんなことを、最初に教えられた場所だった。
#14夏が終わるころにはシュートは変わっていた。
#15でも、次の問題はもっと単純だった。
#16大学側が、その細い身体ごとステフィンを本当に欲しがってくれるのか。
#17ステフィンが最も行きたかった大学はバージニア工科大学だった。
#18父デルの母校であり、母ソニアの母校でもあった。家族にとって特別な場所で、ステフィン自身もそこへ進む未来を自然に思い描いていた。
#19ただ、高校卒業が近づいても、彼は全米の強豪校が奪い合うタイプの選手ではなかった。
#20シュートは入る。
#21でも細い。
#22サイズも特別大きくない。
#23この身体で上のレベルまで行けるのか。
#24そんな疑問が常について回った。
#25バージニア工科大もステフィンをまったく評価していなかったわけではない。奨学金枠や当時のガード陣の事情もあり、最初から奨学金付きの中心選手として迎える形ではなかった。
#26入って、待って、機会をつかむ。
#27そういう道に近かった。
#28でもステフィンは待ちたくなかった。
#29すぐにプレーしたかったし、自分を「今」必要としてくれる場所に行きたかった。
#30そこに現れたのが、ノースカロライナ州の小さな大学、デイビッドソン大学だった。
#31監督のボブ・マキロップは、世間よりずっと前からステフィンを知っていた。
#32しかも最初に目を留めたのはバスケットボールではない。
#33子どものころ、ステフィンはマキロップの息子と野球をしていた。監督は、その細い少年の身のこなしを覚えていた。
#34後にマキロップがカリー家のリビングで入学を勧めていたとき、ステフィンは話を最後まで聞く必要さえなかった。
#35その場で決めた。
#36デイビッドソンに行く、と。
#37ステフィンとマキロップが抱き合い、周りにいた家族やスタッフもそこへ加わった。ソニアは、送り出すまでにもう少し太らせなきゃ、と冗談を言った。
#38バージニア工科大は、待てば道が開くかもしれない場所だった。
#39デイビッドソンは、最初からボールを渡すつもりの場所だった。
#40もちろん、信じてもらえたからといって、甘やかされたわけじゃない。
#41デイビッドソンでの最初のころ、ステフィンはチーム練習に数分遅れた。
#42マキロップは帰らせた。
#43誰よりも彼の可能性を信じていた監督でも、遅刻は遅刻だった。
#44そして大学での最初の公式戦。
#45ステフィンは15得点した。
#46同時に、ターンオーバーを13個した。
#4713個。
#48細い1年生ガードが、大学レベルで通用することを証明したい初戦で、これ以上わかりやすい失敗もなかなかない。
#49それでもマキロップは彼を使い続けた。
#50翌日の相手はミシガン。
#51ステフィンは32得点した。
#52この2試合は、並べて見るとマキロップという監督がよくわかる。
#53数分遅れた選手は練習から追い出す。
#54でも、1試合で13回ボールを失ったくらいでは、その選手の将来まで疑わない。
#55ステフィンのほうも、失敗しないために小さくまとまろうとはしなかった。
#56また撃った。
#57また攻めた。
#58そして、そのシュートがどんどん入り始めた。
#592008年3月、その名前が全米に知られる瞬間が来る。
#602008年のNCAAトーナメント。
#61デイビッドソンは第10シードだった。
#62初戦はゴンザガ。
#63ステフィンは40得点した。
#64後半だけで30得点。
#653ポイントは10本中8本。
#66デイビッドソンにとって、NCAAトーナメントでの勝利は1969年以来だった。
#67次の相手は第2シードのジョージタウン。
#68今度は前半、ステフィンが5得点しか取れなかった。チームは最大17点差まで離された。
#69それでも後半に25得点した。
#70また勝った。
#71次はウィスコンシン。
#7233得点。
#73また勝った。
#74ついにエリートエイトまで来た。
#75相手は、その年の全米王者になるカンザス。
#76ステフィンは25得点。
#77残り54秒、後にNBAで何度も見ることになるような深い位置から3ポイントを決め、59対57まで追いついた。
#78でも、そこまでだった。
#79デイビッドソンは2点差で負けた。
#804試合で128得点。
#81平均32得点。
#82数週間前まで「小さな大学のすごいシューター」だった選手が、一気に全米区のスターになった。
#83ただし、その後も一直線に上がったわけではない。
#843年生になると、ステフィンはより本格的にポイントガードを任され、平均28.6得点で全米得点王になった。
#85選手としてはもっと良くなった。
#86なのに、デイビッドソンはNCAAトーナメント本戦に出られなかった。
#87成長したからといって、必ず前より遠くまで行けるわけじゃない。
#88そして次に待っていたNBAでも、また同じような問いが出てきた。
#89この選手は、いったい何者なんだ。
#902009年のNBAドラフトで、ステフィン・カリーは無名ではなかった。
#91全体7位で指名されている。
#92シュートが特別なのもわかっていた。
#93リリースは速い。
#94レンジも広い。
#95ドリブルから自分で3ポイントを作れる。
#96評価されていなかったわけではない。
#97問題は、その才能を既存のポジションにどう入れるかだった。
#98ポイントガードなのか。
#99でも、典型的な司令塔ではない。
#100シューティングガードなのか。
#101それにしては小さい。
#102NBAの相手に守備で狙われないか。
#103ゴール下まで行って身体で押し返されないか。
#104つまり、才能そのものよりも、その才能がNBAでどんな形になるのかが読みにくかった。
#105ゴールデンステート・ウォリアーズには、そんな不安よりもカリーの上限を高く見ていた人たちがいた。
#106ところが、カリー側には別の問題があった。
#107ゴールデンステートに行きたくなかった。
#108本人たちが望んでいたのはニューヨーク・ニックスだった。
#109マイク・ダントーニの速いオフェンスなら合いそうだったし、ニックスは全体8位の指名権を持っていた。
#110カリー陣営は、ウォリアーズには自分を指名しないでほしいという意向まで伝えていた。
#111でもウォリアーズは7位。
#112ニックスよりひとつ前。
#113そして、そのままカリーを指名した。
#114後に選手と球団の両方を定義することになる関係は、最初から運命的だったわけじゃない。
#115むしろ、かなり気まずい始まりだった。
#116しかもNBAに入って数年もしないうちに、ポジションの話よりずっと深刻な問題が出てきた。
#117今度は、身体そのものが止まり始めた。
#118右足首をひねる。
#119戻る。
#120またひねる。
#121ステフィンはその繰り返しに苦しんだ。
#1222011年には手術を受けた。
#123それでも問題は続いた。
#124ロックアウトで短縮された2011-12シーズンは、66試合中26試合しか出られなかった。
#125そして、また手術。
#126ここまでの疑問とは種類が違った。
#127小さすぎるかもしれない。
#128ポイントガードではないかもしれない。
#129そういう話は予測だった。
#130でも足首は、実際に彼をコートから消していた。
#131もう問題は「カリーがどこまで上手くなるか」ではない。
#132「そもそも、その身体でNBAに居続けられるのか」だった。
#1332012年、ウォリアーズは彼に4年約4400万ドルの延長契約を提示した。
#134当時は、どちらにとっても賭けだった。
#135ウォリアーズからすれば、何度も足首を手術したガードに大金を払う。
#136カリーからすれば、もし完全に健康になれば将来もっと高い価値がつくかもしれないのに、今の価格で長期契約する。
#137それでも両者は契約した。
#138そして、足首を救うために始めたことが少し意外だった。
#139足首そのものではなく、もっと上から直した。
#140ウォリアーズのパフォーマンス部門で働いていたケケ・ライルズは、カリーに片脚で身体をコントロールするテストをさせた。
#141ヒップ・エアプレーンと呼ばれるような動きだった。
#142NBAでもトップクラスに切り返しが鋭い選手なのに、その姿勢では意外なほど安定しなかった。
#143ライルズが見たのは、足首だけの問題ではなかった。
#144カリーは止まるときも、方向を変えるときも、足首に仕事をさせすぎていた。
#145本来なら股関節や臀部、体幹が分担するはずの力まで、足首が引き受けていた。
#146だから考え方を変えた。
#147足首をさらに頑丈にするだけじゃない。
#148股関節で受ける。
#149臀部で支える。
#150体幹で安定させる。
#151足首に集中していた負担を、身体全体に散らす。
#152片脚での筋力トレーニング。
#153不安定な姿勢でのバランス。
#154ハムストリングや臀部の強化。
#155カリーの下半身は、見た目から想像する以上に強くなっていった。トラップバー・デッドリフトでは約400ポンドを扱えるほどになった時期もある。
#156このリハビリがカリーのプレースタイルを作ったわけじゃない。
#157むしろ、その逆だった。
#158急停止。
#159切り返し。
#160細かな方向転換。
#161ボールを持っていないときの絶え間ない動き。
#162そういう、もともと持っていたスタイルを捨てずに続けられる身体を作った。
#163結果は出場試合数に現れた。
#16426試合しか出られなかったシーズンの後に78試合。
#165次も78。
#166その次は80。
#167さらに79。
#168身体が持つようになると、4年4400万ドルという契約の意味も変わった。
#169最初は「足首が危ないからこの金額」だった。
#170健康になったカリーがMVP級まで伸びると、「MVP級の選手がこの金額」に変わった。
#171ウォリアーズにとって大きな助けになった。
#172ただし、それだけで王朝ができたわけではない。
#173チームのほうも、カリーの使い方を変えていった。
#174マーク・ジャクソン時代のウォリアーズは、すでに強くなっていた。
#175カリーとクレイ・トンプソンに思い切って撃つ自信を与え、2013-14シーズンには51勝。守備も良かった。
#176そこへ2014年、スティーブ・カーがやってきた。
#177そして、エースのポイントガードに少し変なことを求めた。
#178ずっとボールを持つな。
#179パスしたら動け。
#180カットしろ。
#181スクリーンを使え。
#182反対側へ走れ。
#183また戻ってこい。
#184普通なら、チームで一番危険な選手にはボールをもっと持たせたくなる。
#185ウォリアーズは逆をやった。
#186ドレイモンド・グリーンは後に、最初は選手たちも「なぜカリーにすぐボールを渡さないんだ」と思ったと振り返っている。
#187でも、カリーが止まらなくなると理由が見えてきた。
#188パスをしたからといって、カリーの担当ディフェンダーは休めない。
#189反対側へ走れば追う。
#190スクリーンを抜ければ追う。
#191一瞬でも離れれば3ポイントが飛んでくる。
#192カリーに2人寄れば、グリーンにボールが入る。
#193すると一時的に、残りの守備は4人で3人を守る形になる。
#194反対側にはクレイもいる。
#195誰も簡単には離れられない。
#196カリーがシュートを1本も撃っていないのに、味方のスペースが広がる。
#197やがて人々は、その影響を「グラビティ」と呼ぶようになった。
#198そして、その重力はカリーのシュートレンジと一緒に、どんどん遠くまで伸びていった。
#199ステフィン・カリーが3ポイント革命を一人で始めたわけではない。
#200そこは重要だ。
#201マイク・ダントーニのチームは、すでに速い展開とスペーシングを押し広げていた。
#202スティーブ・ナッシュのフェニックスもあった。
#203分析部門は3ポイントとリング周辺の価値を重視し始めていた。
#204NBA全体の3ポイント試投数も、カリーのMVP以前から増えていた。
#205カリーが特別だったのは、その流れを別の場所まで持っていったことだった。
#206「どこからなら撃っていいのか」という境界を動かした。
#207それまでの一流シューターは、オフェンスにシュートを作ってもらうことが多かった。
#208ドライブする。
#209守備を動かす。
#210パスする。
#211キャッチして撃つ。
#212カリーは、自分で3ポイントを作った。
#213ドリブルからそのまま上がる。
#214守備が整う前に撃つ。
#215そして、ラインから何歩も後ろでも撃つ。
#2162015-16シーズン。
#2173ポイント試投886本。
#218成功402本。
#219成功率45.4%。
#220普通なら、たくさん撃てば確率は落ちる。
#221カリーは異常な量を撃ちながら、異常な精度まで保った。
#222象徴的だったのが、2016年2月のオクラホマシティ戦だった。
#223延長。
#224同点。
#225残りわずか。
#226カリーがハーフコートを越えてボールを運ぶ。
#227もっとリングに近づく時間はあった。
#228でも行かなかった。
#2293ポイントラインよりはるか後ろから、そのまま撃った。
#230入った。
#231残り0.6秒。
#232ウォリアーズの勝ち。
#233驚くべきなのは、ものすごく遠いシュートが決まったことだけじゃない。
#234あの頃にはもう、見る側も少しずつこう思い始めていた。
#235カリーなら、あれは無茶なシュートじゃないのかもしれない。
#236そうなると守備は前に出なきゃいけない。
#237前に出れば、その後ろが空く。
#2382人で止めに行けば、別の誰かが空く。
#239NBA全体でも、プルアップの3ポイントは増えていった。
#240ガードの射程は広がった。
#241以前ならペイント付近にいたビッグマンまで、3ポイントラインの外へ出るようになった。
#242もちろん、全部がカリー一人のせいではない。
#243でもカリーとウォリアーズは、それまで極端に見えていたバスケットボールが、実際に勝てることを見せた。
#244優勝できる。
#245そして73勝までできる。
#246ただ、その73勝シーズンは、カリーのキャリアでも最も苦い終わり方をした。
#2472015年。
#248カリーは初めてMVPになり、初めてNBA王者になった。
#249次のシーズンは、さらにすごかった。
#250平均30.1得点。
#2513ポイント402本。
#252NBA史上初の満票MVP。
#253ウォリアーズは73勝9敗。
#254マイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズが持っていた72勝を超えた。
#255そしてファイナルでは、クリーブランド・キャバリアーズ相手に3勝1敗まで進んだ。
#256あと1勝。
#257その1勝が取れなかった。
#2583連敗。
#259最後の第7戦はホーム。
#26089対93で負けた。
#261史上最多勝のレギュラーシーズン。
#262満票MVP。
#263402本の3ポイント。
#264全部そろったのに、最後に優勝だけがなかった。
#265カリーのバスケットボールが時代を変えていることを最も強く証明したように見えたシーズンが、そのままキャリア最大級の失敗にもなった。
#266そして、その夏。
#267ウォリアーズはさらにもう一人、MVPを加えた。
#268今度カリーが試されるのは、もっと撃つことではなかった。
#269自分のチームの中で、自分が少し小さくなれるかどうかだった。
#2702016年夏。
#271ケビン・デュラントがゴールデンステートに加入した。
#272すでにMVPを取っているスーパースターだった。
#273しかも数カ月前、西カンファレンス決勝ではオクラホマシティを率いてウォリアーズを3勝1敗まで追い込んでいた。
#274その選手が、カリーのチームに来た。
#275カリーには選択肢があった。
#276ここは自分のチームだと主張し、今まで通り自分中心でやることもできた。
#277でも実際には、得点が下がった。
#278シュート数も変わった。
#2793ポイント成功数も402本から324本に減った。
#280そしてウォリアーズは、もっと強くなった。
#2812017年のプレーオフは16勝1敗。
#282優勝。
#2832018年も優勝。
#284ファイナルMVPは2年ともデュラントだった。
#285カリーの価値は、遠くから撃つことだけではなかった。
#286必要なら自分のボールを減らし、他のスーパースターが最大限に力を出せるスペースを作ることもできた。
#287一時期のウォリアーズは、強すぎて壊れないように見えた。
#288でも、王朝は壊れるときには一気に壊れた。
#2892019年のNBAファイナル。
#290デュラントがアキレス腱を断裂した。
#291クレイ・トンプソンは前十字靭帯を断裂した。
#292ウォリアーズはトロントに敗れた。
#293その夏、デュラントはブルックリンへ移籍。
#294次のシーズンが始まると、今度はカリーが左手を骨折した。
#295ウォリアーズは15勝50敗。
#296そしてクレイは復帰する前に、今度はアキレス腱まで断裂した。
#2975年連続でNBAファイナルに進んだチームは、もう終わったように見えた。
#298でもカリー本人は終わっていなかった。
#29933歳になった2020-21シーズン。
#300平均32.0得点。
#301自己最高。
#302NBA得点王。
#303それでもウォリアーズはプレーインで敗れ、プレーオフ本戦に進めなかった。
#304この事実は大事だった。
#305カリー個人は、まだリーグ最高レベルにいる。
#306でも、カリー一人がすごければ昔のウォリアーズが戻るわけではない。
#307クレイが必要だった。
#308ドレイモンドが必要だった。
#309アンドリュー・ウィギンズも、ケボン・ルーニーも、ジョーダン・プールも必要だった。
#310そして2022年。
#311終わったと思われたチームが、もう一度NBAファイナルまで戻ってきた。
#312今度の優勝は、最初の3回とは意味が違った。
#3132022年NBAファイナル。
#314相手はボストン・セルティックス。
#315第3戦を終えて、ウォリアーズは1勝2敗だった。
#316第4戦はボストン。
#317ここで負ければ1勝3敗。
#318カリーは43得点した。
#319リバウンドも10本。
#320ウォリアーズが勝った。
#321次の第5戦では、逆のことが起きた。
#322カリーは3ポイントを9本撃って、1本も入らなかった。
#323史上最高の3ポイントシューターが、3ポイント0本。
#324それでもウォリアーズは勝った。
#325ウィギンズが攻守で支えた。
#326チームが守った。
#327カリーが普段救っているチームが、その日はカリーを救った。
#328第4戦はカリーがチームを助けた。
#329第5戦はチームがカリーを助けた。
#330そして第6戦。
#331カリーは34得点。
#332ウォリアーズは優勝した。
#3334個目のリング。
#334初めてのファイナルMVP。
#335試合が終わった瞬間、カリーはすぐに走り回らなかった。
#336コートにしゃがみ込んだ。
#337そして泣いた。
#338すでに3回も優勝している選手だった。
#339MVPも2回取っていた。
#340それでも、この優勝にはその前の数年が全部詰まっていた。
#341デュラントの退団。
#342クレイの長期離脱。
#343自分の左手骨折。
#34415勝のシーズン。
#345得点王になってもプレーオフに行けなかった年。
#346王朝は終わったと言われた時間。
#347その全部を通って、また同じ場所まで戻ってきた。
#3484回目の優勝が過去を消したわけじゃない。
#349過去が消えなかったからこそ、4回目はあれほど重かった。
#3502009年のドラフト前に戻ると、不思議な話だ。
#351ステフィン・カリーはゴールデンステートに行きたがっていなかった。
#352ニューヨークを希望していた。
#353ウォリアーズには、自分を指名しないでほしいという意向まで伝えていた。
#354それでもウォリアーズは指名した。
#355そして2026年。
#356カリーは38歳になった。
#357NBAで他のチームのユニフォームを着たことは一度もない。
#358ゴールデンステートで4回優勝し、NBA史上最多の3ポイント成功記録を持ち、キャリアをウォリアーとして終えたいと何度も話している。
#359ただし、終わる時期はまだ決まっていない。
#3602025-26シーズンも平均26.6得点。
#361ただ、右膝の問題で27試合連続欠場した。
#362今のカリーにとって問いは、「まだすごい試合ができるか」ではない。
#363できる。
#364長期離脱から戻った試合で29得点。
#365シーズンが懸かったプレーインでは35得点。
#366問題は、その夜を1シーズンにどれだけ作れるのか。
#367若いころ、身体の脅威は右足首だった。
#36838歳の今は、右膝がまた身体の話を前に出している。
#369本人も、何歳で引退すると決めたわけではない。
#370次の契約が必ず最後だとも言っていない。
#371辞める時期について話すとき、基準にするのはもっとシンプルだ。
#372身体がどう感じるか。
#373そして、今でもバスケットボールが楽しいか。
#374現在の契約は2026-27シーズンまで。
#375延長契約の可能性もある。
#376最後の日付は、まだ決まっていない。
#377だからステフィン・カリーの最後の章は、まだ書かれていない。
#378でも、ひとつの逆転だけはもう完成している。
#379高校時代のカリーは、次のレベルに合わせるためにシュートフォームを作り直した。
#38020代では、自分のプレースタイルを守るために身体の使い方を作り直した。
#381ウォリアーズでは、ポイントガードなのにボールを手放し、走り続ける役割まで受け入れた。
#382そうして自分を何度も変えているうちに、今度は周りのほうが変わり始めた。
#383ディフェンダーが、以前より遠くまで出てくるようになった。
#384ガードが、昔ならコーチに怒られた距離から撃つようになった。
#385ビッグマンまで3ポイントラインの外に立つようになった。
#386かつては無謀に見えたシュートが、新しい世代には練習する価値のある普通の技術になった。
#387最初、ステフィン・カリーはバスケットボールの基準に合わせるために、自分を変え続けた。
#388気づけば、バスケットボールのほうがカリーのいる場所まで動いてきた。
#389ステフィンは2009年にNBAへ進んだとき、の卒業に必要な単位を残したままだった。
#390それでも母ソニアとには、いつか戻って学位を取ると約束していた。
#391その約束を果たすまで13年かかった。
#3922022年、ウォリアーズが再びNBAファイナルへ向かっていたシーズンに、カリーは残っていた授業を終えて正式にデイビッドソンの卒業生になった。そして数カ月後にはキャンパスへ戻り、卒業証書を受け取り、大学の殿堂入りを果たし、背番号30がデイビッドソン史上初めて「番号そのもの」として永久欠番になる瞬間まで迎えた。
#393NBAへ行くために途中で離れた小さな大学が、13年後にはやり残した最後の仕事を終えるために戻る場所になった。