アメリカのコメディアン、俳優、ラジオパーソナリティ、テレビ司会者
車で眠っていたスティーブ・ハーベイは、どうやってアメリカを代表する司会者になったのか?
#11985年10月8日、クリーブランドのHilarities Comedy Clubで、スティーブ・ハーベイは初めてスタンダップコメディの舞台に立った。 アマチュア・ナイトだった。そして、勝った。
#2ところが、その翌日のほうが大胆だった。
#3仕事を辞めてしまった。
#4まだ有名でもない。コメディで安定して食べていける保証もない。 小さな仕事でもらえる出演料は75ドルや150ドルほど。それでもハーベイは、次の舞台を求めて街から街へ移るようになった。
#5やがて、コメディは「稼げない仕事」というだけでは済まなくなる。
#6続けるなら、家がなくても耐えなければならなくなった。
#7ハーベイはおよそ3年間、ホームレスとして暮らした。乗っていたFord Tempoが寝床になった。 会場がホテルを用意してくれる日はベッドで眠れた。でも、そうでなければ休憩所や駐車場に車を停めて寝た。
#8シャワーを浴びる場所まで探さなければならない。 ガソリンスタンドやプールなど、体を洗える場所を見つけて使った。
#9しかも、自分一人が生き延びればいいわけでもなかった。 家族がいたからだ。
#10車で眠っていた時期にも、ハーベイはコメディで稼いだ金を家族へ送ろうとしていた。 自分の生活は崩れていくのに、責任はなくならない。
#11ここまで来ると、当然ひとつの疑問が残る。
#12なぜ普通の仕事に戻らなかったのか?
#13ハーベイがこの時期を振り返るとき、何度も語ってきた場面がある。
#14ホームレスだったある日、ホテルの浴室で体を洗っていた。 ほかに行く場所がなかったからだ。
#15そこで泣いた。 そして祈った。
#16いつか成功できたら、自分がどうやってこの時間を抜けてきたのか、人に話せるようにしてほしい。 後にハーベイは、そんなふうに願ったと振り返っている。
#17もちろん、その時点では後の成功など見えていない。 テレビもラジオも「Family Feud」も、まだ先の話だ。
#18目の前にあるのは、次の出演だけだった。
#19ハーベイ自身の回想によれば、1991年、車で眠っていた頃、手元には35ドルしかなかった時期がある。
#20ちょうどその頃、ニューヨークのアポロ・シアターにつながる機会が訪れた。
#21ただ、Apolloにたどり着くまでの経緯は、ハーベイ自身の複数の回想でも少しずつ違っている。 公式プロフィールでは、1990年の全国規模のコメディ大会で結果を残したことが、「Showtime at the Apollo」につながる重要な段階として説明されている。
#22だから、「一本の電話ですべてが突然変わった」とまとめてしまうと、少し話がきれいすぎる。
#23それでも、ひとつは確かだった。 生活がいちばん苦しかった時期に、何年も追い続けてきたコメディが、ようやく大きな舞台へつながり始めていた。
#24その舞台がApolloだった。
#25ただし、まだ問題がある。
#26ニューヨークまで行かなければならない。
#27ハーベイはついにApolloまでたどり着いた。
#28でも、着いたからといって急に生活が変わるわけではない。 公演まで過ごす場所がなかった。
#29そこで劇場の中にいさせてもらえないか頼み、上階の楽屋で夜の出番を待つことになった。 朝から来ていたので、待ち時間は長かった。
#30腹が減るとKFCへ行った。 そして戻ってきて、また待った。
#31そこにはハーベイだけでなく、D.L. HughleyやJamie Foxxもいた。
#32今なら名前を並べるだけで豪華に見える。 でも、その夜の彼らはまだ、自分の出番を待っているコメディアンたちだった。
#33ハーベイも同じだった。
#34やがて夜になった。
#35出番が来た。
#36Apolloはゴールではなかった。 むしろ、ここからハーベイの役割が変わっていく。
#371993年、「Showtime at the Apollo」の司会者になった。 小さなクラブで自分の出番を待っていた男が、今度はほかの出演者を舞台へ送り出す側に回ったわけだ。
#38その後も形は変わっていく。 1994年には「Me and the Boys」に出演し、1996年には自分の名前を冠した「The Steve Harvey Show」が始まった。番組は2002年まで6シーズン続いた。
#39コメディアンが俳優になり、自分のテレビ番組を率いる存在になった。
#40それでも、まだ次があった。
#411997年、ハーベイはCedric the Entertainer、D.L. Hughley、Bernie Macとともに「Kings of Comedy」ツアーに参加した。
#42かつて出演場所を探していたコメディアンたちが、今度は全米の大きな会場を埋めていく。 ツアーは大成功し、Spike Leeはその公演を「The Original Kings of Comedy」として映画化した。
#43Ford Tempoで眠っていた頃から考えれば、ずいぶん遠くまで来ていた。
#44ところが、成功すると別の問いが出てきた。 ハーベイは後に、「Kings of Comedy」のあとで次に何をすればいいのか考えたと振り返っている。
#45これから、何をする?
#46ホームレスだった頃とはまったく違う悩みだ。
#47でも、やったことは似ていた。
#48次の舞台を探した。
#492000年、ハーベイは「The Steve Harvey Morning Show」を始め、ラジオへ進んだ。
#50ラジオでは、観客の前でジョークを言うだけでは足りない。 人の話を聞く。質問に答える。恋愛や人間関係についても直接話す。
#51そこで、ハーベイがずっと使ってきた力が別の形で生き始めた。
#52人と話すこと。 笑わせること。 相手の反応を読むこと。
#53その経験は本にもつながった。 ハーベイが書いた「Act Like a Lady, Think Like a Man」は大きな成功を収め、後には映画にもなった。
#54毎回まったく別の仕事をゼロから始めていたわけではない。
#55小さなコメディの舞台で身につけたものを、別の場所へ持っていっていた。
#562010年、ハーベイはFamily Feudの司会者になった。
#57ここでは、自分一人で笑わせ続ける必要はない。 家族が答え、ハーベイが反応する。その場の間を読み、予想外の答えが出れば、その瞬間を笑いに変えていく。
#58小さなクラブで自分の出番を待っていた男が、今度はアメリカを代表する長寿ゲーム番組の真ん中に立っていた。
#59しかも、この成功は短く終わらなかった。 ハーベイは長年「Family Feud」を率い、アメリカで最も知られたテレビ司会者の一人になっていく。
#602026年も「Family Feud」と「Celebrity Family Feud」の司会を務めている。 そして「Family Feud」は50周年シーズンを迎えている。
#61ここでもう一度、最初に戻ると見え方が変わる。
#62家がなかった。 車で眠った。 シャワーを浴びる場所を探した。 自分自身がほとんど何も持っていないのに、家族へ金を送ろうとした。 手元に35ドルしかない時期もあった。
#63Apolloに着いてからでさえ、公演まで行く場所がなく、楽屋で待っていた。
#64それでも、出番が来れば舞台に立った。
#65これを 「夢を信じ続けたから」 の一言でまとめることもできる。
#66でも、ハーベイが実際に続けたことを見ると、少し違って見える。 彼はひとつの職業の形だけにしがみついていたわけではない。
#67手放さなかったのは、その下にある力だった。
#68人を笑わせる。 人と話す。 場の空気を読む。 観客を引きつける。
#69だから舞台が変わるたび、自分の形も変えていった。 小さなコメディクラブからApolloへ。Apolloからテレビへ。テレビから自分の番組へ。 「Kings of Comedy」で大きなコメディ舞台に戻り、ラジオでは人の話を聞く側にもなった。 そして「Family Feud」へたどり着いた。
#70ハーベイが後になって何度も語る「最後の瞬間」は、一度だけ起きた奇跡のことではない。
#71車で眠っていた時も、次の出演を探した。 Apolloへの扉が開けば、そこへ向かった。 大きな成功のあとにも、また次を探した。
#72一本の電話がSteve Harveyを作ったわけではない。
#73電話が届いたとき、すでに動き続けていた人がいた。
#74何十年もたった今も、その人は舞台にいる。
#75ただ、もう自分の出番を待ってはいない。
#76今度は、彼がその場を動かしている。